コラム KAZU'S VIEW

2026年02月

利他と利己について考える-りくりゅうペアの演技からの感動に学ぶ-


高市首相の信任投票選挙で「自民党の圧勝」, 海洋研究開発機構が南鳥島でのレアアース試掘に初成功, 第25回オリンピック冬季競技大会(ミラノ・コルティナ五輪)で日本選手が金5個,銀7個,銅12個の計24個の冬季五輪史上最多メダル獲得,2025年1月〜12月に生まれた子どもの数は705,809人で過去最低などなど,今月もさまざまなニュースが心を動かした.その中で最も心に残る情報は,冬季オリンピックの選手達が創り出した人間ドラマだった.その中でも特に共感が強かったのは,日本代表フィギュアスケート競技の「りくりゅうペア(三浦璃来と木原龍一のペア競技選手)」(注1)が創り出したものだった.その理由は,この所,自身のテーマとなって来た「縁起的自己認識」[2],[3]の中で「利他」と「利己」の心に関連して2人の4回の演技から考えさせられる点があったからである.なお, 縁起的自己認識とは, 「私は他の様々なものとのつながりの中で,条件次第で生じ変化する一時的な存在である」[4]と理解し,その関係性を尊重しながら生きる自己認識方法である.

第25回オリンピック冬季競技大会(ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック)は, 2026年2月6日から22日の間,イタリア北部の都市ミラノとコルティナ・ダンペッツォで開催された.イタリアではこれまでに,冬季オリンピックが2度開催されており,コルティナ1956冬季大会からは70年ぶり,トリノ2006冬季大会から20年ぶりの開催で,ミラノでは夏冬通して初めてのオリンピックとなり,8競技116種目が実施された. TEAM JAPANのスローガンは「ともに,一歩踏み出す勇気を」である[5].フィギュアスケート種目は,大会開催日の6日から団体種目(リズムダンス,ペアショート,女子ショート)が始まった.順調な滑り出しで,チームの雰囲気も画面で見る限りは,リラックス感と盛り上がり感が視聴者に伝わってきた. りくりゅうペアは,個人ペア競技で日本時間の17日早朝にフリー種目において世界歴代最高得点の158.13点をマークし,前日のショートプログラムでリフトにミスが出て5位と出遅れたが,首位ドイツペアとの6.90点差を逆転して優勝した.ショートプログラム終了時の木原選手の失敗に対する落胆と折れかかった心の様子が画面から伝わって来た.これを三浦選手が気遣い,励まそうとしている様子は,見ている者の心を震わせた.翌日のフリー種目にどのような影響が出るか,多くの日本人が固唾を呑んで見守ったであろう.そのような心配が,翌日のフリー種目で見事に取り越し苦労であったことを思い知らされた.その瞬間を多くの視聴者が共有できたであろう.二人の演技への共感性が最高潮に高まった出来事となった.

山竹[6]は,「他者を思いやり,助けたいと思うのも人間の本性であり,そうした道徳性(注2),利他的精神の根底には,共感(注4)による苦しみの理解,他人事とは思えない動揺がある.」としている.また,「共感によって生み出される利他的行為は,苦しんでいる相手を手伝ったり,相手の救いになるように取り計らったりするだけでなく,相手の気持ちを受けとめたり,話を聞いてあげたりするなど,精神的なケアも含まれる.共感している相手は,自分と同じ感情を抱いているだけでなく,自分よりその感情の意味を理解していることが少なくない.共感してくれる相手の表情や言葉から,自分の感情にあらためて気づかされ,自己了解を得ることができる.自分がこれからどうしたいのか,どうすべきなのか,その可能性も見えてくる.」とも指摘している.この山竹の言葉を借りると,木原選手が三原選手の共感行為を通じて改めて自己了解を得たということになろう.メダル獲得という利己的目標に向かって二人で努力してきた積み重ねの上に,共感を伴う利他的目標である「互いを高め合う」という更なる目標への挑戦というドラマが多くの人々の強い共感を導き出したのであろう.正に「ともに,一歩踏み出す勇気を」の象徴的シーンと言えよう.

「情けは人のためならず」という言葉は,利他的行為が結局,利己的目標の手段となるという意味に解釈される(注5).利他行為が相手への押付になることが,利己的利他への危惧の背景にある.伊藤ら[9]は,「利他」の本質について,「任せること,信頼すること」,「人間の意思を超えたものによって促される時」,「自己の行為を意志が所有するという認識から,自己が行為の場所となり生成変化が起きていくという認識への変換」,「設計図を超えた小説の推進力(注6)」などと言う表現をし,「利他学」を掲げている(注7).その背景には,「排他主義」,「分断」,「競い合い」,「弱者切り捨て」等の言葉で象徴される現代社会の風潮とその基盤となっている科学技術の発展に対する人間回帰への願望が感じられる.「皆のために必要なことをやることが.自分のやりたいことなのだと言う人は,残念ながらそれほど多くはいないだろう」という玉野[11]の仮説検証を,地縁組織の運営実践を通じて行っている身としては[12],利他と利己が「融合関係」か「振り子関係」か(注8),はたまた,見方の視点からの両側面なのか(注9)をりくりゅうペアの演技からの感動をエネルギーとして進めて行きたい. りくりゅうペアを始めとする第25回オリンピック冬季競技大会という舞台で人間ドラマを演出した全てのオリンピアンに心から感謝したい.

(注1) 三浦璃来(ミウラ リク:2001年-)と木原龍一(キハラ リュウイチ:1992年-)のフィギュアスケートペア日本人初金メダリストである.団体ペアのショートプログラム(SP),フリーでともに1位を獲得し,団体銀メダルに貢献した. 個人ペアではSPでリフトにミスが出て5位と出遅れたものの,フリーで世界歴代最高得点をマークし,首位ドイツペアを逆転して優勝した.この優勝により,キャリアゴールデンスラム(国際スケート連盟:International Skating Union: ISUが主催するシニアのISUチャンピオンシップである世界選手権,欧州選手権(欧州の選手)もしくは四大陸選手権(欧州以外の選手),グランプリファイナルの3大会全てで優勝すること)も達成した[1].
(注2) マイケル・トマセロ(Michael Tomasello:1950年-)は,道徳性を「同情の道徳性」と「公平の道徳性」に分けることを提唱している.同情の道徳性は,慈悲や哀れみで「ケアの倫理」で利他的であるのに対し,「公平の道徳性」は全員の利益の追求,「正義の倫理」に相当するとしている.また,キャロル・ギリガン(Carol Gilligan:1937年-)は同情の道徳性を「女性的」,正義の倫理を「男性的」と評している.山竹は,人間の道徳性は「幼児の発達」と「人類の進化」の産物とし,同情(共感)に基づく利他的行為は,公平性を含んだ二人称の道徳性(注3)が客観的道徳性に基づくこととし,その前提として「自己了解」,すなわち,自己と他者の感情を区別した上での共感と位置づけている[6].
(注3) 二人称の道徳性(second-person morality with fairness)とは,主に哲学者スティーヴン・ダーウォル((Stephen Darwall:1946年-)が提唱した「二人称的観点(Second-Person Standpoint)」の倫理学において,道徳の根幹は「私」と「あなた」の直接的な相互関係にあるとし,その関係性の中に他者への敬意と平等な(公平な)要求権を含めた概念としている[7].
(注4) 山竹は,共感力を上げるために必要なこととして以下を指摘している.「共感という経験は対人関係における感情共有の確信であり,相手に対して親和的な感情が生じ,他人事ではないと感じられる.この時,自己了解と同時に,他者の感情了解が生じる.相手が望む行為の選択,つまり利他的行為を可能にする.相手の感情を理解するためには,言葉と想像力,推論する理性の力を身につけることが必要である」としている[6].
(注5) 「情けは他人の為だけではない,いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから,誰にでも親切にせよ」という意味であるが, 1960年代後半,若者を中心に言葉の意味を「情けをかけることは,結局その人の為にならない(ので,すべきではない)」という意味,つまり,「情けが仇」だと思っている人が多いことが,マスメディアで報じられた. 2000年頃より,再びそのように解釈が増え,2001(平成13)年の文化庁による『国語に関する世論調査』では,この誤用が48.2パーセントと,正しく理解している人の47.2パーセントを上回った.この誤用の原因は,「人の為ならず」の解釈を,「人の為(に)成る+ず(打消)」(他人のために成ることはない)と,中世日本語(「ならず」は「に非ず」の音便)の意味合いと解釈したところにあったとする指摘がある[8].
(注6) 「利他とは何か」[9]の共著者の1人である小説家の磯崎憲一郎の言葉で,小説は小説家の所有ではなく.小説自身が自己生成し,展開するものであるとの主張で「利他」を論じている[9].
(注7) 「利他とは何か」[9]の著者らは「利他プロジェクト」を東京科学大学内の未来人類研究センター内に中島岳志(ナカジマ タケシ:1975年-)をプロジェクトリーダーとして開設し,利他に関する情報発信を行っている. そのセンターの主旨は,「私たちをとりまくこの殺伐とした世界のなかで,もう一度,よりよい社会を,より充実した生を構想するにはどうしたらよいかを『利他』という視点を手がかりとして研究しようとしている.」と述べている[10].
(注8) 融合とは,「2つの異なる対象や特性を組み合わせて,新たな特性を創り出す」と言う発想で,融合がなされれば元の2つの対象や特性はその特性を失という不可逆的プロセスになる.一方,振り子とは,2つの対象や特性はそのまま維持され,時間経過に伴ってその表象が変化する,と言う認識法になる[13].
(注9) 光は「波」と「粒」の両方の性質を持っている. 波としての性質(波動性)を表すために「波長」という言葉が使われる.一方, 粒としての性質は,その数によって光の強さが変わり,明るい光は粒の数が多く,暗い光は粒の数が少ない.この光の粒のことを「フォトン」や「光子」という[14].

参考文献・資料
[1] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 三浦璃来, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E7%92%83%E6%9D%A5 ,2026.2.24アクセス
[2] 石井和克,乙巳の年の締めくくり-後期高齢者としての自覚と挑戦への準備-,コラム KAZU'S VIEW 2025年12月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=270 ,2026.2.25アクセス
[3] 石井和克,除雪文化の継承と創造に向けて-白の無限性の認識と縁起的自己認識への活用-,コラム KAZU'S VIEW 2026年1月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=271 ,2026.2.25アクセス
[4] 森政弘,(2)縁起と自己の関係性-自己とは何か?仏道をならふといふは,自己をならふなり,ちえうみPLUS, https://chieumiplus.com/article/zikotohananika02 ,2026.2.25アクセス
[5] 日本オリンピック委員会,ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック TEAM JAPAN, https://joc.or.jp/milano_cortina2026/ ,2026.2.25アクセス
[6] 山竹伸二, 共感の正体-つながりを生むものか,苦しみを生むモノカ-,河出書房新社(2022)
[7] スティーヴン・ダーウォル著,寺田俊郎監訳,会澤久仁子訳,二人称的観点の倫理学-道徳・尊敬・責任-,法政大学出版局(2017)
[8] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 情けは人の為ならず, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E3%81%91%E3%81%AF%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%82%BA%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%9A ,2026.2.26アクセス
[9] 伊藤亜紗,中島岳志,若松英輔,國分功一郎,磯崎憲一郎,「利他」とは何か,集英社(2021)
[10] 東京科学大学内の未来人類研究センター, 利他プロジェクト, https://www.fhrc.ila.titech.ac.jp/project/rita-project/ ,2026.2.26アクセス
[11] 玉野和志,町内会-コミュニテイからみる日本近代-,筑摩書房(2024)
[12] 石井和克, 地域コミュニティとしての町会のありたい姿-新興住宅地の事例-,コラム KAZU'S VIEW 2025年11月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=269 ,2026.2.25アクセス
[13] 石井和克,言葉から見た科学の限界-ホモ・サピエンスの進化と自由意志-,コラム KAZU'S VIEW 2025年5月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=263 ,2026.2.25アクセス
[14] Photonテラス, 光の基本的な性質, https://photonterrace.net/ja/photon/behavior/ ,2026.2.25アクセス

令和8年2月
以上

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