コラム KAZU'S VIEW
2019年02月
平成という時代の30年の意味を考える- Part1:令和と縄文の時代を繋ぐという視点-
間もなく平成という時代が終わる.平成元年(昭和64年)は,西暦で1989年に当たる.この元号の変わり目で記憶に残っているのは,当時の第49代内閣官房長官(竹下内閣)小渕恵三(後の第84代内閣総理大臣:1998〜2000年)氏がテレビで指し示した「平成」という色紙と「新しい元号は“平成”であります.」というメッセージである.
平成元年は1月8日(日)から始まり平成31年4月30日(火)で終わり,30年間の時代を閉じる.元号を使用する文化は東アジアにわずかにあるらしい.台湾の「民國紀元」や北朝鮮の「主体紀元」が該当する.平成元年の日本の出来事をウィキペディア(Wikipedia)で私の関心視点で拾い上げて見た.美空ひばりが52歳でこの世を去り,没後,女性で初めての国民栄誉賞を授与されている.TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」,フジテレビ「オレたちひょうきん族」が放送終了している.この年の12月29日には東証の大納会で日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭を記録し,その後の株価下落からバブル崩壊へとの事始めが起きている.
ところで,この年の事始めとしてある出来事があった.それは, 平成元年1月9日(月)に真脇(マワキ)遺跡が国指定史跡になったことである.この遺跡は石川県鳳珠郡能登町(ホウスグン ノトチョウ)字真脇にある縄文時代前期(6000年前)から晩期(2000年前)にいたる4000年続いたとされる集落の遺跡である.縄文文化は1万年続いたとされる.1万年続く文化とは何か.文化(注1)とは「価値観と行動様式によって規定されるようなもの.」と勝手に理解している.日本文化,アメリカ文化,ヨーロッパ文化など文化には様々なモノがあるが,1万年という歴史を持つ文化は世界に類を見ないと思う.平安の都も千年である.縄文文化や弥生文化というネーミングはその時代区分がその時々に作られた土器の外見的特徴によるとされる.すなわち,縄文土器はその土器類の表面に縄目模様があるとこに由来する.その原料は苧麻(カラムシ)などの草だとされる.縄はその機能性からは物を縛る,固定するなどものであるが,その形状のビジュワル性から縄文様という造形性が縄文土器の特徴である.多分,その形は蛇や竜のような生命力をイメージするものではなかったのか.縄文人の死生観は独特なもので,死後の世界を身近なもの,生と密接に関わるものとして認識されていたという.集落の中心に墓をつくるという行動もその表れとされる.仏教における彼岸(ヒガン)と此岸(シガン:俗世)とを明確に分ける考え方とは全く異なる世界観のような気がする.一方,弥生土器の名称は,その発見場所である東京府本郷区向ヶ岡弥生町(1884年に有坂鉊蔵(アリサカ ショウゾウ),坪井正五郎(ツボイ ショウゴロウ),白井光太郎(シライ ミツタロウ)の3名が現東京都文京区弥生で発見)の地名に由来している. コラム「沖縄で今起こっている事はこれからの日本の未来に繋がる」[3]の中で,日本列島人について触れたが,日本人のルーツを遺伝子情報から紐解くという研究[4]のアプローチに対し,真脇遺跡縄文館の展示物から見た研究アプローチは大変対照的に思えた.展示物の中に,遺跡発掘現場の地下4メートルに渡る地層の展示物があったが,その地層に6000年間の歴史が明瞭に残っているのが,素人にも分かるようになっていた.発掘されたものの中で印象深かった物は,イルカの骨の数の多さと,栗の巨木の柱や丸木舟であった.真脇の集落での食料源や生活必需品としての各種道具類の素材として,イルカが長く使われていたことは間違いないようである.栗の巨木の黒々とした色は,炭化という長い時間経過を,見る者に無言で語りかけてくる.遺跡が公園化され,その広大な敷地の中に栗の木の列柱がデプリカとして展示されていた.遺跡を尋ねた時はちょうど北風の強い日であったが,列柱の風景は,その風音が数千年の時間を飛び越えて,縄文人の声として聞こえてくるような錯覚を覚えるモノであった.狩猟,漁労と採取生活を基本としていた縄文人の生活は,それ以前の石器時代の人々の生活様式であった移動生活と大きく異なり,定住生活を基本とするように変化した.その原因として小林[5]は土器を上げている.土器を得たことで縄文人は料理という技術を身につけ,煮炊きによって生では食せなかったドングリなどの灰汁(アク)抜きやタンニン分解によって食材の種類を広げると共に,食品の保存化を可能とすることで定住性を獲得した.それと同時に,自然環境の生態的知識を蓄積,伝承し,狩猟,漁労と採取活動の効率化を図ったとしている.例えば,九州地方にある「ユリの花とウニ」という言葉を例に,この地方では野辺にユリの花が咲く頃には海ではウニが卵を持つ時期になり,ウニ漁に適するタイミングを教えてくれる,と解説している.これと同じようなことが北陸にもある.「鰤起こし」と言われる言葉で,11月下旬頃から北陸地域には地鳴りのような雷が現われ,日本海が荒れ始めると寒鰤漁の時期となる.さらに,小林は縄文人の雑食性を指摘している.彼らは,類人猿である猿も食したとしている.この雑食性は偏った狩猟活動,例えば動物性タンパク質としてイノシシや鹿等だけを狩猟の対象にすれば,やがてこれらの動物は絶滅危惧種となり食糧難を来す,というようなリスクを回避し,食の安定確保に貢献したとしている.
平成の30年間はバブルが弾け,一時はJapan As No.1[6]と言われたこともあったが,その後,失われた10年,20年,30年・・.そして,昨年は日本企業の不祥事が多くあった経済面. 平成7(1995)年1月17日の阪神淡路大震災や平成13(2011)年3月11日の東日本大震災に見られる想像を絶する自然災害面. 平成7(1995)年3月20日に起きた地下鉄サリン事件や原子力発電技術や行政機構への信頼性低下などの社会面で我が国を取り巻く環境の劇的変化が実体験化された時代であった.これらネガテイブな変化を日本人がどのように受け止め,次の新たな時代(元号)を迎えるのかを考えた時,この平成の歴史観は経済成長率や物的豊かさ,すなわち物的価値と経済的価値(貨幣価値)を基準に置いた見方ではあり,この視点,すなわち価値基準を変えると,平成の別の見方もできるという視点が必要になろう.例えば,少欲知足(足ることを知ることが知慧(チエ)である)[7]やLiving better with less.[8]というような価値観も参考になろうが,我が先祖である縄文人の文化(注1)を一考してはどうであろう.今日の我々は弥生人の文化を強く引き継いでいる.これに対し,1万年を継続できた縄文人の文化とは何か.特に,弥生土器に比べ土偶や石棒,土面といった縄文土器の特徴である機能性以外の価値の再評価がヒントにならないか.これらの土器類は儀式,祭礼や呪術といった儀礼的,象徴的,精神的な価値が機能的な土器と共に重要性を持つ文化ではなかったか.物的価値と経済的価値(貨幣価値)そして心的(精神的)価値のバランス感覚が縄文文化を,自然との共生する文化とし,四季をはじめとした多様な自然環境に適合した文化形成が,効率性や集約性を重視する文化に比べ継続性の長い要因の1つになっているのではないか.真脇遺跡に吹き渡る風はそんな縄文人のささやきに聞こえてきた.
(注1)広辞苑[1]によると文化とは,「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果.衣食住をはじめ技術,学問,芸術,道徳,宗教,政治など生活形成の様式と内容を含む.」としている.また,池田光穂[2]はそのサイトで,「文化には決定的な定義がない.」としている.
参考文献
[1] 新村 出編,広辞苑第五版,岩波書店(1998)
[2]池田光穂, 文化:culture, Culture, cultures, http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/def-cul.html, 2019.2.20.アクセス
[3] 石井和克,沖縄で今起こっている事はこれからの日本の未来に繋がる,コラム KAZU'S VIEW 2018年10月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=183 , 2019.2.20.アクセス
[4] 斎藤成也,日本列島人の歴史,岩波書店(2015)
[5] 小林達雄,縄文人の文化力,新書館(1999)
[6] Ezra F. Vogel, Japan As Number One: Lessons for America, Harvard University Press (1979)
[7] 安原和雄,足るを知る経済―仏教思想で創る二十一世紀と日本, 毎日新聞社(2000)
[8] Deborah H. De Ford, The Simpler Life: An inspirational guide to Living better with less, Reader's Digest Association (1998)
以上
平成31年2月