コラム KAZU'S VIEW

2019年07月

後1年を切ったTokyo 2020に今の日本人は何を夢見るのか

2020年7月24日(金)に開会式が予定されている第32回夏季オリンピック東京大会開催までちょうど1年を切ったようだ.このオリンピック誘致には様々なトラブルが影を落とした.まず,このオリンピック誘致を決めた時期(トキ)の都知事が猪瀬直樹(イノセ ナオキ)氏は都知事選で433万8936票を獲得し,日本の選挙史上,個人得票数で歴代1を獲得しながら,政治資金スキャンダルで辞職している.さらに,国際オリンピック委員会(IOC)委員,日本オリンピック委員会(JOC)会長,東京2020五輪招致委員会理事長だった竹田 恆和(タケダ ツネカズ)氏が国際陸上競技連盟(IAAF)前会長のラミーヌ・ディアクに対する贈賄事件で辞任した.Tokyo2020は別名,復興五輪と呼ばれ,2011年3月11日に発生した東日本大震災からの復興を世界に発信するための機会とすることを目的としていた.ちなみに東京オリンピックは構想を含め,3回開催の履歴がある.いずれも,復興をシンボルとするものだった.幻に終わった1回目の東京オリンピックは,1940(昭和15)年に第12回夏季オリンピックとして計画され,関東大震災からの復興を世界にアピールし,アジアで初めて開催されるオリンピックであったはずだったが,1937(昭和12)年に勃発した支那事変により,開催辞退をした.2回目が1964(昭和39)年であり,戦後復興をアピールする第18回夏季大会であった.そして来る2020(令和2)年は第32回夏季オリンピック開催となる.幻に終わった第12回夏季オリンピック東京大会については,NHK大河ドラマの「いだてん-東京オリムピック噺-」で紹介されていた.このドラマも盛り上がりに欠ける気がする.
 2018年9月のコラムで,「センポ(千畝)という人は日本人初のグローバル人財」の中で日本の1930~40年の歴史を改めて日本人が見直すことの必要性を述べた.上記の大河ドラマをきっかけに多くの日本人が当時の日本の状況に関心を持ち,当時の人々の思いや国の運命の決まり方などについての議論が盛り上がって欲しいと思う.日本を取り巻く近隣諸国,北朝鮮,韓国,中国,台湾やロシアといった国々と日本との現在の関係は,上記の時代の歴史経緯に多くの原因が由来していると思われる.明治以降の日本の富国強兵政策の功罪が太平洋戦争という結末に至った背景には当時の日本が和魂洋才のかけ声のもと,物的,経済的価値の追求を武力によって進めて来た1つの帰結と考えられる.その結果,人類史上初めての被爆国として,また,多くの日本人の犠牲を礎として,「平和主義」を基本精神とする憲法を基に再出発した.その平和憲法の第9条に示されている「戦争放棄」,「戦力の不保持」,「交戦権の否認」について,その意味や改憲に関する議論が出たり,消えたりしている.過日の参議院議員通常選挙(憲法第46条規定)の全国投票率は48.8%(読売新聞)であった.10代の投票率は31.3%(総務省)とされ,20代,30代の投票率も軒並み低かったようである.この状況をどのように見るべきか.このところ,香港で起きているデモのニュースが目につく.昨年12月に学会で香港に行く機会を逸したことが今更に悔やまれるが,ニュースから見ると低年齢層(中学生レベル)が参加している様子が伝えられている.香港住民の自由に対する危機感の表れとするコメントも出ている.この問題も香港の歴史経緯を理解した上で考える必要がある.1842年にアヘン戦争を契機にイギリスが当時の清朝から香港を99年間租借したことから始まる.その後,1997年に中国に返還され,今日に至っている.この返還時に,一国二制度の基で高い自治制を香港が保障されると言う合意があったとされる.この歴史は今の香港の人たちに自由という価値を定着させた.この自由が現在の中国政府により奪われることへの不信感が特に若者の間に醸成されて来ているという見方もある.生まれた時から自由が与えられていた人々が,その自由を失うという危機意識をリアルに持てるということが不思議に思える.人は大切なモノを失って初めてその大切さを思い知らされる,という価値の持ち主である我は,早、過去の遺物であろうか.
 19世紀に西欧列強は産業革命を起爆剤にして物的価値と経済的価値を中心とした価値創造活動を世界戦略として展開し,その展開先が極東および東アジアの国々であった.この荒波を成功裏に乗り切ったのが日本の明治維新を支えた勢力であった.その成功体験はアジア近隣諸国の成功モデルとして写り,西洋列強への対抗勢力として日本は見做されていたのであろう. 金玉均(朝鮮),孫文・蒋介石(中国),ラス・ビハリ・ボース(インド)やファン・ボイ・チャウ(ベトナム)など当時のアジアのリーダーがこぞって日本に学びに来ていた歴史を見ても分かる.しかし,1930~40年にかけて日本が周辺諸国に取った行動は多くの場合,彼らの期待を裏切る結果となったのではないか.間もなく74年目の終戦記念日がやってくる.令和で初めてのこの日をどのように迎えるか.極東の諸国間の関係性に脆弱性を見出す出来事のニュースが多くなったようことが気にかかる. GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)と言われるアメリカの世界的IT企業に対し,政府サイドからの警戒感と規制対策に関するニュースが出回っている.ITネットワークが張り巡らされた今の世界の中で,我々は「便利さ」という価値を享受する一方で,自らを裸にされている実態に注意する必要がある.ビッグデータという膨大なデータの中から簡単,便利に情報検索をすることで自らの個人情報が吸い上げられ,これを他者が加工処理して自らの購買行動や思考・意思決定が他者に誘導されて行くことの功罪を認識することが必要であろう.Tokyo2020にも様々なICT仕掛けが組込まれている.これらは人類の未来への希望に繋がる一面,過去2回の世界大戦を誘発した情報操作による世論形成といった新たな未来の課題を合わせて見て行く必要があろう.
 スポーツはアナログな世界での現象であり,人間という存在の精神および肉体の限界への挑戦の場でもある.その場にどのようにデジタルな世界が融合して行くのか.1964年のオリンピックは小学生の頃だった.小学校でTVを見ることを体験した機会でもあった.それから半世紀以上経って,再びオリンピックを身近に体験できる機会に恵まれたことに感謝すると共に,Tokyo2020が日本人にとってどんな価値(夢)をもたらすのか,そして,令和に続く日本と周辺諸国がどのような輪を形創るのか.令和の若い世代に1964年のオリンピックが当時の昭和の若い日本人に与えた夢に代り,どんな夢を与えてくれるのか,後1年後を楽しみにしたい.
以上
令和1年7月

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