コラム KAZU'S VIEW

2020年02月

1960年代音楽シーンの思い出とCOVID-19

 連日のCOVID-19関連のニュースで何となく気分的に落ち込んでいたところに,1960年代の日本の歌謡曲をテーマにしたテレビ番組を何本か見て,心和む時間が持てた.

1つはBSフジの「世界に愛された坂本九-永遠の笑顔と希望の歌声-」という番組であった[1].歌手坂本九の人間像を描き出そうという番組だった.彼の歌ったSUKIYAKI(日本のオリジナル曲名は「上を向いて歩こう(作詞永六輔,作曲中村八大,1962年リリース)」)は世界で1300万枚のレコード売上を記録した.別の番組でミリオンヒット曲を特集したものがあり,ベスト100のトップが「およげたいやきくん(作詞高田ひろお,作曲・編曲佐瀬寿一,歌子門真人,1975年リリース)」で,そのレコート販売枚数が400万枚足らずという数字を考えると偉大な数字といえよう.また,彼は1963年6月アメリカビルボード誌で日本人唯一の一位を成し遂げている.九ちゃんといえば,「見上げてごらん夜の星を(作詞永六輔,作曲いずみたく)」,「明日があるさ(作詞青島幸男,作曲・編曲中村八大)」などなど数多くある.1985年8月12日の御巣鷹山(オスタカヤマ)のJAL機事故で享年43歳での逝去であった.出生地である川崎駅前には「上を向いて歩こう」の石碑がある.従姉妹(イトコ)が川崎在住で,子供の頃(昭和30年代頃),夏休みに実家に来て,坂本九が出るTV番組を一緒に見ていた際に,彼女の家の近くに九ちゃんの家があるという話を聞いて,うらやましく思ったことを思い出した.もう1つは,NHK BSプレミアムの「アナザーストーリーズ 運命の分岐点」という番組で「イムジン河(リムジン江(ガン))」という楽曲を取り上げていた[2].当時,日本人男3人組のザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)と言うグループがレコード発売を予定していたが,当時の朝鮮総連の音楽部長であった李喆雨(リ・チョルウ)の著作権侵害抗議により1968年2月20日に発売自粛となった. しかし,その後,2002年にフォークルが再結成されてレコード発売された[3].原曲の作詞は朴世永(パク・セヨン),日本歌詞の作詞は松山猛(マツヤマ タケシ),作曲は高宗漢(コ・ジョンハン),そして補作曲は加藤和彦となっている(https://www.joysound.com/web/search/song/22085).もともと1957年頃に北朝鮮で作られた楽曲である.日本詞を作った松山氏によると,彼が高校生当時,朝鮮学校に出向いた機会にこの曲を偶然耳にし,そのメロデイーに惹かれ,歌詞を作ったという.朝鮮人の祖国分断の悲劇と望郷の念を日本人として共感したものだったと番組のインタビューで本人が語っていた. フォークルは,この販売自粛を受けて「悲しくてやりきれない(作詞サトー・ハチロー,作曲加藤和彦)」を1968年3月21日にリリースした.この曲を作曲した故加藤氏(2009年10月17日没,享年64才)はイムジン河の楽譜を逆から並べなおしてメロデイーを作ったと語っていたと聞いたことがある.イムジン河はその後,カン・イルスンという京都朝鮮学校の教師が生徒に教え続け,北朝鮮で公演したこともあったという.更に,歌手金蓮子(キム・ヨンジャ)が朝鮮(韓国と北朝鮮)で公演を続け,歌い継がれていたようだ.イムジン河(臨津江:リムジンガン)は地理的には現在の北朝鮮と韓国を分断する北緯38度線に沿って流れる大河である.朝鮮半島中部に源を発して黄海に注ぐ流れで河口付近には江華島という島がある.この島は日本の明治政府が1875年に当時の李氏朝鮮と武力衝突を起こし,それまで鎖国状況であった朝鮮を開国させる契機となった事件としても歴史に残る場所である.

 1960年代の音楽シーンを海外に転じてみると, モンキーズ,サイモンとガーファンクル, ルイ・アームストロング,ジャクソン5などがアメリカで, ザ・ビートルズ,ザ・ローリング・ストーンズなどがイギリスを中心に活躍していた.そうそうたるミュージックアーテイスト達が輝く時代でもあった.そんな時機に日本発の国際的な拡がりを持つ音楽活動があったことを改めて認識出来た番組であった.今日,多くの日本人ミュージシャンが国際的活動をする事はそれほど珍しくは無くなったが,60年代という時代背景を考えると彼らの活動はその先駆的なものとして位置づけられよう.すなわち,60年代の時代背景としては,国内では安保闘争があり,アメリカのベトナム戦争(1975年4月30日のサイゴン陥落で終結とされる)の泥沼化と反戦運動の広がり,フランスの5月革命(1968年),中国の文化大革命(無産階級文化大革命1966~1976年),プラハの春(1968年)など世界中で学生を中心とした若いパワーによる政治社会体制変革のうねりが起きていた.歌は最強のコミュニケーション手段である.その意味で反戦歌や平和に関する楽曲が数多く生まれ,歌われた.上を向いて歩こうやイムジン河はその典型ではないか.その歌い手は当時の20代の若者であり,将来の夢を歌い上げることに国内外の多くの共感を得たのではないか.歌詞にある語句を見ると,春夏秋冬,雲,空,星,月(上を向いて歩こう)や河,水,鳥,空,大地,虹(イムジン河)など自然がちりばめられている.この自然に人の心や願いを託すことで当時の世相のメッセージ性を改めて感じ取れる.自分が10代前半に出合った歌を半世紀以上過ぎた今,改めてその当時のエピソードや当時の事情を踏まえて見直すと幼い頃の懐かしさと同時に自身の変化を見て取れる.

東アジアが世界におよぼす質的,量的影響の大きさをCOVID-19の事例は如実に物語る.政治,経済,社会そして科学技術の面で,ここ10年間を見る限り自然の驚異による人間社会のリスク要因が増加していることを肌で感じ取れる.今回の新型コロナウイルスの自然的脅威に対し,我々人類はどのように対処するのか?その真価を問われている.フォークルのメンバーであった北山はその著書[3]で,「人間や自然のいい(良い)加減さのために,わたしたちは失敗し,裏切られ,惑わされています.」とした上で,「いい加減さ」をありふれた日常における創造性の源泉と規定している.今回の自然のいい(良い)加減さには,その致死率の年代別格差が著しいというデータが集まりつつある
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200219/k10012291281000.html).
これを踏まえて,対応する術を検討する中で日本が抱える高齢社会に向けての変革の機会とすることに我々は取り組む必要性はないか.合わせて我が国のCOVID-19対策はその変化点に来ている.

参考文献・資料
[1] BSフジ, BSフジ土曜エンターテインメント:『世界に愛された坂本九 永遠の笑顔と希望の歌声』,https://www.bsfuji.tv/sakamotokyu/pub/index.html,<2020.2.20>
[2] NHK,アナザーストーリーズ「時代に翻弄された歌 イムジン河」,
https://www2.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2020-02-18&ch=10&eid=00922&f=3444,<2020.2.20>
[3] きたやまおさむ,前田重治,良(イ)い加減に生きる-歌いながら考える深層心理-(講談社現代新書2522),講談社(2019)
以上
令和2年2月


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