コラム KAZU'S VIEW

2020年11月

朝ドラ「エール」の問いかけるものとは

 古関裕而(コセキ ユウジ:本名古關 勇治)とその妻,金子(キンコ)をモデルにしたNHK朝ドラ「エール」が終了した.途中,コロナ禍で撮影中断があり,中断中は再録編集版やエピソード編など繋ぎ作品や最終回の出演者による古関メロデイーアルバム版などもあり,結構特徴的な番組だった.この番組企画は2011年3月11日の東日本大震災から10年目に当たる年に,福島をテーマにしたドラマ作りの狙いがあったと聞いている.ドラマ主題歌で福島出身の4人で結成されたGReeeeNの『星影のエール』も,ドラマイメージに調和した曲と詞であったと思う.コロナ禍で疲弊(ヒヘイ)する今の我々に対するエール(応援歌)でもあった.
主人公,古山裕一(コヤマ ユウイチ)役の窪田正孝が演じる古関像は,気弱でシャイな性格の中で,自分の好きな音楽の世界で生きて行くために,社会の様々な要請に応えようとした人間の生き様を好演していた.ドラマで見る限り,彼の音楽への動機付けは,父親のハイカラ趣味から来るレコードという教材を通じて当時の国際的楽曲に触れられた環境と,森山直太朗演じる小学校教師,藤堂清晴の才能発掘力と夢への挑戦に対する後押しではなかったか.彼の作曲法は,いわゆる天から曲が降って来る型で,楽器などは使わず,頭にたまったメロデイーをそのまま五線譜に書くというものであったとされる.5千曲を超える楽曲の多くは,日本の昭和史を生きて,生活した人々の応援歌であった.その一方で,ドラマの最後に近い1964(昭和39)年の東京オリンピック開会式の行進曲での指揮のシーンで,気弱な性格から会場に出向く足が進まない彼に,彼の曲に励まされたという長崎出身のスタッフの一言が,彼へのエールとなったシーンでは,エールは木霊(コダマ)のようなものであることを教えてくれた.すなわち,人の言霊(コトダマ)は,人の心に共感を呼び起こし,共鳴して反って来るものであること.そんな主人公の気弱さを,持ち前のポジテイブな性格で支え,自らは,声楽家を目指しながらも家庭を通じた価値創造の道を選択した女性,関内 音(セキウチ オト)役を二階堂ふみが好演していた.ドラマの設定では,豊橋の馬具職人の3姉妹の次女として描かれていた.彼女のモデルであった古関金子は声楽家であったが,ドラマの設定では,声楽家としての道をあきらめた設定になっていた.これは,音楽を介して一緒になった男女が,音楽を通じて価値創造に取り組む同志として支え合うという人間関係の1つのモデルを伝えたいという脚本家の意図のようにも思える.
古関の作曲家としての出発は,英国音楽雑誌のThe Chesterianの管弦楽作品の懸賞募集(1929:昭和4年)に,管弦楽のための舞踊組曲『竹取物語』を含む5つの作品を応募し,入賞したことに始まると考えられる[1].これが新聞報道され,その記事をみて,内山金子が古関に興味を持ち,2人の間に文通が始まったとされている.1930(昭和5)年に当時,日本コロムビアの顧問をしていた山田耕筰(故志村けんが好演)の推薦で日本コロムビア専属作曲家となり,1935年に「船頭可愛や」の大ヒットで著名作曲家としての地位を築いた.ドラマでは,その後のヒット曲について,作曲に関わるエピソードが組みこまれていて,聞き覚えのある楽曲の意味内容や時代背景を通じて,作曲家としての心の動きを思い描きながら聞き直すと,今までとは違う曲のとらえ方もできたものが数多くあった.最初は,伝統的なクラシック音楽の作曲であったものが,やがて,世相を反映した「流行歌(はやり唄)」としての歌謡曲の作曲へと変わっていく中で,自分のための曲作りから,人のための曲づくりへと変貌していく人生が,作成曲の幅の広さに反映している様に見える.人のための曲作りは,自らの人生における役割を果たすことと受け止めていたのではないか.それは,最終回に近い場面で,若い学生風の人物から,なぜ,現在は曲を作らないのか?という質問に対し,主人公が回答した言葉の中に,それが現れた場面があった.今でも,自分の頭には楽しい曲が湧き出でいる.しかし,これを曲として人のために提供する役割は終わりにし,これからは,自分のための曲として楽しんでいたい.という言葉である.
  2011年に起きた東日本大震災から10年目を迎えた.当時の記憶は,いまだに生々しく脳裏によみがえる.テレビ放送でリアルに伝えられる映像は,押し寄せる津波が車を飲み込み,家を飲み込み,「早く逃げろ!」という人の声をも飲み込んで行く有様に,ただ声もなく,TV画面を見つめるだけの自分がそこにあった.それからの10年間の自らを振りかえると,様々な思いがよぎる.2011年の震災直後の8月にドイツStuttgartで開催された国際会議で会長を拝命し,その時のスピーチで海外からの震災支援へのお礼と,5年後には復興の目処が立つであろうことを述べた.2年間の会長任期を終え,2014年から技術者の教養科目としての管理技術教育プログラムを学部3年生に対し始めた.そのプログラムも今年の前学期時点で,延べ1万人の受講者を数えるに至った.この間,国内学会の会長も拝命させていただいた.そして,自分のこの10年間は,次の世代へのバトンタッチの年月だったと振り返りたい.そして,後1年残された時間を使って自分のために生きる第二の人生を考えていた.しかし,その矢先にCOVID-19のパンデミックで国内では15万人,全世界では6400万人を超える感染者を出し[2],今日を迎えた.この得体のしれない恐怖に直面し,リモートワークやリモート授業といった,今までは本気でなかった社会変革が,withコロナの今後の社会の1つの選択肢として構築されつつある.「星影のエール」の歌詞にある,共感的なフレーズに「星の見えない日々を超えるたびに」,「星の見えない日々で迷うたびに」,「闇夜にほら響け一番星」がある.今,星を隠しているのはCOVID-19である.この雲を取り払う手立てとしては,ワクチン開発と我々個々人の役割である3密回避,手洗い・マスク・うがいという,withコロナの生活スタイルの確立になろう.しかし,これだけで十分か,という迷いもある.一番星が輝くのではなく,響くためには,エールを送る側とその励ましに応える気概と「共感」を持つ人間がいて成り立つコミュニケーションが前提となる.共感とは,他人の体験する感情や心的状態,あるいは人の主張などを自分も全く同じように感じたり,理解したりすること(広辞苑第6版).これは,エールに応える気持ちとして「阿吽(アウン)の呼吸」が必要になることを意味しよう.
 
参考文献・資料
[1] ウィキペディア(Wikipedia),古関裕而,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E9%96%A2%E8%A3%95%E8%80%8C#cite_note-10, 2020.11.20
[2]  テンプレート:COVID-19パンデミックデータ,
https://en.wikipedia.org/wiki/Template:COVID-19_pandemic_data, 2020.10.26
以上
(令和2年11月)

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