コラム KAZU'S VIEW

2022 年02月

改めて考えてみるオリンピックの意義

2月4日(金)から第24回冬季オリンピックが北京を中心に2月20日(日)までの間,開催された.半年前の夏季オリンピック,Tokyo2020 でのアスリート達の躍動が再び,我々の感動を呼び起こす機会となった.今大会における日本選手団の金メダル3個,銀メダル6個,銅メダル9個の計16個のメダル獲得数は,前回の2018(平成30)年の平昌(ピョンチャン,韓国)大会の13個(金4,銀5,銅4)を超え,歴代1位の数になる.しかし,その一方で採点競技の評価結果や規程違反などの判定結果に疑問も残る印象の強い大会であった.また,本来あってはならない政治的パフォーマンスや思惑が色濃く出た大会でもあり,興味や盛り上がりに欠ける側面も見受けられた.改めて,オリンピックの意義を考える機会にもなった大会ではなかったか.

  第1回冬季オリンピックは1924(大正13)年,夏季オリンピックに遅れること28年後にシャモニー・モンブラン(フランス)で開催された.しかし,この大会はフランスが主催し,国際オリンピック委員会(IOC)が名目的に後援した形で実施された.これを翌1925年にIOCが「第1回冬季オリンピック競技大会」として追認したものであった.第2回大会は1928年,サン・モリッツ(スイス)で開催され,この時から日本の参加が始まった.この時の日本からの参加者は,選手としてはスキーノルディック種目の6人だけで,これに監督が1人ついて,計7人であったという[1].冬季オリンピックにおける日本のメダル獲得の歴史を見ると,1956(昭和31)年の第7回コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)大会で,猪谷千春(イガヤ チハル,元JOC理事,IOC副会長)選手がアルペン・スキーの回転競技で銀メダルを獲得.1972(昭和47)年,アジアで最初に開催された冬季大会の第11回札幌大会(注1)では,「日の丸飛行隊」が70m級ジャンプで笠谷幸生(カサヤ ユキオ)選手,金野昭次(コンノ アキツグ)選手,青地清二(アオチ セイジ)選手の順に金・銀・銅メダルを独占した.1980(昭和55)年の第13回レークプラシッド(USA)では八木弘和(ヤギ ヒロカズ)選手が70m級ジャンプで銀メダル.1984(昭和59)年の第14回サラエボ(ユーゴスラビア)大会では北沢欣浩(キタザワ ヨシヒロ)選手が男子500mで銀メダルとなり,スピードスケート初のメダリストとなった.1988(昭和63)年の第15回カルガリー(カナダ)大会では,スピードスケート男子500mで黒岩 彰(クロイワ アキラ)選手が銅メダル,そして,1992(平成4)年の第16回アルベールビル(フランス)大会では,初めての冬季オリンピック日本女子メダリストとしてフィギアスケート女子の伊藤みどり選手が銀メダル,スピードスケート女子1500mで橋本聖子(ハシモト セイコ)選手(Tokyo2020 組織委員会会長)が銅メダルを獲得するなど,金1,銀2,銅4の計7個のメダルを獲得している.日本で開催された2回目の冬季オリンピックは,1998(平成10)年の第18回長野大会(注2)である.この時,日本が獲得した金メダル5個の内,スキージャンプ競技が,船木和喜選手の男子ラージヒル個人と男子ラージヒル団体ジャンプで2つの金メダルを獲得した.そして,その24年後の2022(令和4)年の第24回オリンピック北京(中国)大会男子個人ノーマルヒルの小林陵侑(コバヤシ リョウユウ)選手の金メダルへとノルディック競技のレガシーが繋がっている.

冬季大会はその種目の性格上,雪や氷を競技環境として必要とし,スキー,スケート,そりやスノーボードなどの道具を使用する.従って,これらの要因が競技パフォーマンスに影響をおよぼす.例えば,今回の北京大会では,フリースタイルスキー・モーグルのスキーの板について,日本製の「ID one」(注3)という製品が大会の映像を通じて視聴者の話題を集めた.このスキー板はモーグル選手の8割が使用していると言われている.世界の一流選手をユーザーとし,ユーザーと製品メーカーが共創して顧客感動を呼ぶ高品質なモノ作り技術が垣間見られる[8].同様の話は,男子個人フィギュアスケート銅メダリストの宇野昌磨(ウノ ショウマ)選手のスケート靴にも,ブレード作りや革のメインテナンスへの職人技術の支援があったという(注4).屋外施設での競技が主体であり,雪や氷の条件が天候異変の影響を受ける.北京大会のスキー競技会場となった河北省張家口市は,ゴビ砂漠の東端で乾燥する地域である.大会期間中の13日だけ雪が降った.北京五輪組織委員会は会見で「人工雪の使用率は90%」と説明しており,一部メディアは環境破壊への影響を懸念し,大会理念である「グリーンな大会」に反するのではないかという指摘も出ている[9].男子フィギュアスケートシングルのショートプログラムでは,羽生結弦(ハニュ ユズル)選手の4回転アクセルを世界中が注視している中で,踏切の際に滑走面の氷の穴にブレードが引っかかり,実現できなかったというハプニングが生じた.今回のスケートリンクで使用された製氷技術は,CO2遷臨界直接冷却製氷技術(注5)といわれるもので,冬季オリンピック大会では初めての使用になるという[11].競技用具や施設開発を伴う競技のために,開発企業との連携が競技成果に影響を及ぼすことは,かつての冬季オリンピックでのアマチュア問題にも繋がっている.アルペン人気が上昇し,選手がスキー業界からさまざまな援助を受けるようになり,選手の側はメディアに映像を撮られる時,自分のスキーの商標がはっきり見えるようにするというような状況が一般化した.これが元で1972年の第11回札幌大会の開幕直前,ブランデージ当時IOC会長(米国)が滑降の金メダル候補,カール・シュランツ選手(オーストリア)を「走る広告塔」と称し, アマチュアリズムに反するとしてIOC総会においてオリンピックから追放したという歴史を持っている.しかし,「アマチュア」という用語は1974年にはオリンピック憲章(注6)から削除され,1988年の第24回オリンピック(夏季)ソウル大会(韓国)からプロ選手の出場が始まった.

 この2年間,新型コロナウイルスによるパンデミックが世界に不安全,不安心を強いている.そこに夏季,冬季の2つのオリンピックがアジアで開催されたことは世界にどれだけの救いを提供出来ただろうか.人間同士の戦争は,いまだ世界中にその火種をくすぶらせている.それに加え,新型コロナウイルスと人類との戦争の出口はまだ明確になっていない.ユヴァル・ノア・ハラリ[13]は, ホモ・デウスの著書の中で,科学技術の発展が人類から飢餓,疫病そして戦争という宿命的課題に解決をもたらし, 人類の未来に掲げたキーワードは,「不死」,「幸福」そして「神性」の3つである,としていた.21世紀に入り人類が直面している課題は,彼の主張が反映されたものになって行くのか.彼の言う人類の未来への架け橋への最終段階と受け止めれば良いのか.北京冬季オリンピックが終了し,パラリンピックが始まるまでの間に,北京大会の開会式に出席し,ウクライナ選手団入場の際に居眠りをしていたと?とされるウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンロシア大統領(2000〜08,2012〜)のウクライナ侵攻は,何を意味するのか.オリンピック憲章(注7)に謳われる「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進」,「権限を有する公的または私的な組織および行政機関との協力による平和推進の努力」と世界の現状との間には大きな溝が見える.競技後に選手達が互いの健闘を認め合い,祝福し合う様子と比べ,その格差は言いようのないほど大きなものを感じる.オリンピックを国別獲得メダル数で捉えるのは,その元凶の1つなのかもしれない.

(注1)冬季オリンピック札幌大会は1940年(昭和15年)の第12回夏季オリンピック東京大会と第5回冬季オリンピック札幌大会として予定されていたが,日中戦争勃発に伴って開催権の返上が行われ,結果的に中止となった経緯がある.その後,1964年夏季オリンピックの東京開催決定をきっかけに,札幌大会開催が1966年に1972年冬季オリンピックの招致を成功させた.1940年の第5会大会の中止から32年後に第11回冬季五輪として実現した[3],[4].
(注2)長野大会は,歴代の冬季オリンピック開催地のうち最南で,最も低緯度での開催であった.この時のメダル獲得数は,金メダル5個,銀メダル1個,銅メダル4個の計10個であった.この時の金メダル5個の内訳は,スキージャンプの2個以外に,清水宏保選手の男子500mスピードスケート,里谷多英選手の女子モーグル金,そして西谷岳文選手のショートトラックスピードスケート男子500mがある[1],[2].
(注3)「ID one」(アイディー・ワン)というブランドは大阪府守口市にあるマテリアルスポーツという会社が販売している.社長の藤本誠氏が2000年にこの板を開発した.その端緒は,上村愛子(女子フリースタイルスキー・モーグルで冬季オリンピック5大会連続日本代表としていずれも7位以内入賞)選手が19歳の頃,相談を受けて開発に着手し,その後もスキー大会などの現場を通じて30年以上にわたり,選手との人脈や信頼関係を築いて製品開発を行って来ており,北京五輪では男女のモーグル種目の表彰台を独占した製品となった[5].
(注4)ブレード(刃)は,鋼の塊から削り出して製作する記述を有する名古屋市緑区の山一ハガネ[6], ブレード(刃)の研磨職人の橋口清彦氏[7]などがサポートしたとされる.
(注5)従来の製氷方法に比べ,CO2直冷製氷システムには優れた冷却機能が備わり,CO2がリンクの冷却コイルまで直接運ばれて熱交換が行われるため,伝熱性能が高く,製氷システム全体の熱交換率がより高いという特徴がある.氷面の温度を一定に保つことができ,氷面の質がより高くなり,場所によって温度が異なるということがないとされている[10].
(注6)第5代IOC会長(1952-72年)を務めたアベリー・ブランデージは,原理主義的なアマチュアリズムを唱え,「ミスター・アマチュア(リズム)」と呼ばれた.しかし,彼の在任中にスポーツを取り巻く環境は大きく変わり,アマチュアリズムとの乖離が進行した.特に,1952(昭和27)年の第15回ヘルシンキ(フィンランド)大会において,ソ連をはじめとする東欧の社会主義諸国は,国家による出場者の選抜と専門的なトレーニングを施しており,「ステート・アマ」と呼ばれるようになる.その後,第6代IOC会長(1972-80年)のマイケル・モリス(第3代キラニン男爵)の時に,1974年のIOC総会でオリンピック憲章からアマチュア規定が削除された[12].
(注7)オリンピック憲章のオリンピズムの根本原則の1つには,「オリンピズムの目的は, 人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために,人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである.」がある.また,IOC の使命と役割として,「スポーツを人類に役立てる努力において, 権限を有する公的または私的な組織および行政機関と協力し, その努力により平和を推進する.」[13]

参考文献・資料
[1] 日本オリンピック委員会,冬期オリンピックの歴史,
https://www.joc.or.jp/column/olympic/winterhistory/ ,2022年2月25日アクセス
[2] 時事通信フォト,冬季五輪のメダリスト,
https://www.jijiphoto.jp/ext/sports/olympic/winter_medalists.html , 2022年2月25日アクセス
[3] ウィキペディア, 1940年札幌オリンピック
https://ja.wikipedia.org/wiki/1940%E5%B9%B4%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF ,2022年2月25日アクセス
[4] 橋場了吾,もう一つの「幻の五輪」:戦火に消えた札幌の夢,70 seeds, Interview 2015.09.24, https://www.70seeds.jp/olympic-091/ , 2022年2月25日アクセス
[5] 時事通信社, 日本ブランド「最強」スキー板が北京五輪モーグル表彰台を独占 開発者の藤本誠さんに聞く,JIJI.com,
  https://www.jiji.com/jc/v8?id=202202mogulfujimoto , 2022年2月25日アクセス
[6] 中日新聞, 曲がらない刃で宇野の銅を後押し 愛知の「山一ハガネ」,
https://www.chunichi.co.jp/article/416070 ,  2022年2月25日アクセス
[7] 時事通信社, 難しい構成に挑める靴 宇野選手支える橋口さん〔五輪・フィギュア〕, 2022-02-09, https://sp.m.jiji.com/article/show/2702183#google_vignette , 2022年2月25日アクセス
[8] C・K・プラハラード, ベンカト・ラマスワミ著,有賀裕子訳, コ・イノベーション経営 : 価値共創の未来に向けて, 東洋経済新報社(2013)
[9] 中日新聞, 北京五輪スキー会場,人工雪が9割 エコ軽視?水100万立方メートル, 2022年2月17日 ,https://www.chunichi.co.jp/article/420066 ,2022年2月25日アクセス
[10]  北京冬季五輪,CO2製氷技術を採用 どんな意義があるのか,人民網日本語版,
http://m.china.org.cn/orgdoc/doc_1_76798_2168227.html , 2022年2月25日アクセス
[11]  科学技術振興機構, 冬季五輪北京,CO2を冷媒とする製氷技術を採用,Science Portal China, 2020年11月24日-11月30日,
https://spc.jst.go.jp/news/201104/topic_2_05.html , 2022年2月25日アクセス
[12]  ウィキペディア,アマチュアリズム
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0 , 2022年2月25日アクセス
[13] ユヴァル・ノア・ハラリ著,柴田裕之訳,サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福,河出書房新社(2016)
[14] 日本オリンピック委員会,オリンピック憲章(2020年7月17日より有効), https://www.joc.or.jp/olympism/charter/pdf/olympiccharter2020.pdf , 2022年2月25日アクセス
以上
令和4年2月

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