コラム KAZU'S VIEW

2022年03月

国の概念がなくなる共産主義の実現は人類の見果てぬ夢か-ウクライナ侵攻が世界に問うもの-

  37年間を過ごした職場を離れる最後の1ケ月とはどのようなモノか?どのような心情・情動が持てるのか?を楽しみにしていた.しかし,期待したほどの心の動きは実感できなかった.何故なのか?その原因を考えてみた.

  オミクロン株によるCOVID-19新規感染者数の数字の大きさに,やっと慣れ始めた矢先に,ロシア軍のウクライナ侵攻,北朝鮮の大陸弾道弾ミサイル発射実験や震度6を超える地震などのニュースに右往左往させられた1ヶ月であった.特に,新型コロナウイルス対人類の競争に対する,人類の一体感が醸成されかけていた機運の中で,ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチンの一人芝居に,世界中が戦々恐々とさせられている.核兵器や化学兵器,第三次世界大戦など,物騒な言葉がニュースに登場する場面にさらされると,改めて人類の愚かさの一面を思い知らされる.戦争の世紀,といわれた20世紀を乗り越えた人類が,直面する新しい世紀の古い課題にどのような回答が出てくるのか.今後の人類の未来に対する大きな意思決定である.ウクライナは地政学的にはロシア,ポーランド,リトアニア,ルーマニアなどの国々の影響を受けて来た.そして,1922(大正11)年にウクライナ・ソビエト社会主義共和国として,1918(大正7)年に起きたロシア革命後に成立したソビエト社会主義共和国連邦(以後,ソ連と表記する;注1)の構成国となり,1991(平成3)年のソ連崩壊後,ウクライナは,現在の独立国になった.しかし,その後もロシアとの関係には,様々な問題が発生している.特に2014(平成26)年のクリミア危機(注3)は,領土問題として今回のロシア軍のウクライナ侵攻の主要因の1つになっている.2019(令和元)年5月に第6代ウクライナ大統領に就任したウォロディミル・オレクサンドロヴィチ・ゼレンスキーは,2022(令和4)年3月23日に日本の国会では初めてのオンライン方式で国家元首として10分余りの演説を行なった.彼は,これまでにもフランス,ドイツ,イタリアやアメリカ合衆国の議会で演説を行い,その演説の卓越さを披露しているが,今回の演説の中には日本人が特異な感情を持つ単語として,「サリン」,「原爆・原発事故」,「津波」,「復興」などを巧みに用いて共感性を高める演出が見られた.また,安全保障面での国際連合(注4)の機能不全性を自国の事例を介して指摘し,新たな枠組み作りのリーダーシップを日本に要請している.彼のこのような戦略は,世界に対し,正義の味方のゼレンスキーと悪役プーチンの対峙関係をより明確にすることに大きな効果を発揮している.

  そもそも,ソ連,中国や北朝鮮などの社会主義国がこの地上に現れた経緯は何であったのか.この主義に属する国の名前から連想するイメージは,明るく,楽しいイメージとはかけ離れている印象が強い.18〜19世紀のヨーロッパにおける産業革命が資本主義を生み出し,その結果として資本家と労働者という階級闘争が生じた.その過程で,マルクスとエンゲルス(注5)の共産主義が資本主義の必然的帰結として提起された[3]〜[5].そして,ソ連という歴史上初めての社会主義国家の成立により,想像の世界でしかなかった国が現実の世界として人類の前に現れた.しかし,そのソ連という国も百年は続かなかった.このソ連崩壊は,今回のウクライナ問題やソ連に代わる社会主義国家モデルとしての中国の台頭という,現在の世界秩序形成への道を辿っている.また,この事象を民主主義と社会主義(共産主義の過程と位置づけされる形態)の対立と言う視点で歴史政治学的な見方をしているフランシス・フクヤマ[6]は,「歴史の終わり」という表現をしている.彼の仮説は,国際社会において民主主義と自由経済が最終的に勝利し,その後は社会制度の発展が終結し,社会の平和と自由と安定を無期限に維持するという主張である.その論拠は,人類がこれまで様々な政治形態を経験した歴史の結果として帰納された社会科学的分析結果としている.また,戦争や内乱が起きる原因は,経済的利害ではなく,気概の衝突によって起こるとし,安定した社会体制や国家関係を作るためには,物質的な満足(物的価値)だけでなく,精神的な気概(心的価値)も満たす必要がある.そのために人種や民族,宗教,身分,職業などの差別を撤廃すること,差別意識や偏見を軽減するための十分な意志疎通が行える通信,移動手段などのコミュニケーション技術の発達が必要であることを指摘している.ソ連が強力な軍事力を持っていながら,その国家体制を維持できなかった理由は,世界の軍事力の飽和よって,結果的に軍事力というハードパワー(物的価値)そのものが無意味化してしまったのである,としている.

  総務省の人口推計によると,2019(令和元)年10月1日時点の戦後生まれの人口は,日本全体の84.5%を占めると報告されている[7].従って,日本人の殆どは戦争体験を持たず,人の話や映画・TVドラマ等の世界としての戦争認識になる.従って,毎日流れるウクライナのニュース番組の映像は,ある程度の距離感を持って受け取られるが,その映像の多くはSNSなどを情報源としており,一般人が撮影しているので不思議なリアル感もある.その映像に添えられた現地の言葉は,「愛する家族や知人・友人のために命をかけて戦う」.戦う姿は武器を持つ姿,けが人や妊婦を看護・治療する姿,そして後方支援物資を運ぶ姿など,自らできることを行って国を守ろうとする姿であり,これらが見聞きする者に共感という情動を呼び起こさせる.デジタル情報の不思議な力が,現状把握というアナログの世界観からすると,かすかな疑いの心を呼びさます.空想的社会主義が科学的社会主義へと変革された20世紀の中で,国という概念がなくなるとする共産主義の世界観は,見果てぬ人類の儚い夢なのか.21世紀はその結論を人類が出す世紀なのかもしれない.改めて,平和とは何か,国とは何か,人の幸せとは何かという課題の重さが,心の振動である情動の振れを押さえ込んでいる.

(注1)ソ連(Union of Soviet Socialist Republics )は1922(大正11)年から1991(平成3)年までユーラシア大陸北部に位置する社会主義国家であった.1917(大正6)年にウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキ(ロシア社会民主労働党の中の多数派を意味し,一党独裁による革命を主張し,大衆政党による革命を主張する少数派のメンシェビキと対立し,後に共産党と改名)が,ロシア帝国に置き換わる形で成立した臨時政府を打倒した十月革命を起源としている.憲法で保障された世界初の社会主義国家で,1922年に成立した.
1924(大正13)年,レーニンの死後,ヨシフ・スターリンが政権を握り,計画経済体制を確立した.その後,急速な工業化と強制的な集団化によって著しい経済成長を遂げた.1939(昭和14)年8月ソ連はナチス・ドイツ(注2)と不可侵条約を締結した.第二次世界大戦開始後,中立国だったソ連は,ポーランド,リトアニア,ラトビア,エストニアの東部地域を含む東欧諸国に侵攻し,領土を併合した.
1945(昭和20)年5月にヨーロッパにおける第二次世界大戦に勝利し,ソ連が制圧した地域は,東側諸国の衛星国となった.1947(昭和22)年,東西冷戦が勃発し,東側諸国は西側諸国と対峙し,西側諸国は1949(昭和24)年に北大西洋条約機構(NATO)を結成した.これに対し,ソ連を中心とした東側諸国の軍事同盟として1955(昭和30)年にワルシャワ条約機構が結成された.
(注2)ナチス・ドイツ(Nazi Germany)は,アドルフ・ヒトラーおよび国家社会主義ドイツ労働者党による支配下の,1933(昭和8)年から1945(昭和20)年までのドイツの呼び名である.ヒットラーは1933年に首相に指名され,1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いた.スターリンが政権を奪取した1924(大正13)年には自ら起こしたミュンヘン一揆の首謀者としての刑に服していたが,2年後の1926(昭和元)年には,ナチ党の独裁体制を確立している.
ヒットラーとスターリンはいずれも独裁者としてほぼ同時代を生きており,その専政性の名の下に多くの虐殺行為を行っているが,第二次大戦の2人の結末は対照的である.
(注3)クリミア半島の帰属を巡るロシアとウクライナ間で生じた領土問題に関する政治危機のこと.クリミア共和国の一方的な独立宣言とその後のロシアへの編入宣言を指す.プーチン大統領は,クリミアを独立国家として認める大統領令に書名し,ロシア上院はクリミアを自国に編入する条約を批准している.
この危機の発端になった事件として同年に起きたウクライナ騒乱[1]がある.この騒乱は,ユーロ・マイダン革命とも呼ばれ,親露的ウクライナ政府側と親EU的ユーロマイダンデモ参加者の暴力的衝突の結果,当時のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ第4代大統領が失脚し,隣国ロシアへ亡命することになった.この騒乱は,ユーロ・マイダン運動側が勝者となり,新たな政権となる第一次ヤツェニュク政権の成立や2004(平成16)年憲法の復活,臨時大統領選挙の実施などに繋がった.親露派のヤヌコーヴィチ大統領の失脚はロシアの反発を招き,ウクライナ領クリミア半島のロシア併合と親露派武装勢力によるドンバス地方における戦争の勃発を誘発し,クリミア危機・ウクライナ東部紛争へとつながっていった.
(注4)国際連合(United Nations)は第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ,1945(昭和20)年10月に51ヵ国の加盟国で設立された.その主目的は,国際平和と安全の維持(安全保障),経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である[2].2021(令和3)年6月時点の加盟国は193か国になっている.
国連の問題点として,その成立の過程が第2次世界大戦の戦勝国(アメリカ,ロシア(ソ連),中国,イギリス,フランスが常任理事国)が中心となって設立されたことにより,安全保障に関する意思決定権限をもつ安全保障理事会(常任理事国5カ国と非常任理事国10カ国で構成)における常任理事国の拒否権(常任理事国が1国でも拒否権を発動すると決定できないルール)問題と,敗戦国であるドイツや日本に対する敵国条項(敵国に対しては,国連憲章は適用されない)が,これまでに指摘されてきている.
(注5)1848年にカール・マルクス(Karl Marx)とフリードリヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)は,「共産党宣言(共産主義者宣言)」と呼ばれる著書を出版した.その中で,「これまでの社会のすべての歴史は階級闘争の歴史である」とし,産業革命以降の資本主義社会はプロレタリアラート(労働者階級:被支配階級)とブルジュアジー(資本家:支配階級)間の闘争となり,やがてはプロレタリアラートによる支配が達成され,その結果として国はなくなり,世界は1つになるとした.また,共産主義者の活動として,所有一般の廃絶ではなく,所得税の強力な累進課税,相続権廃止,亡命貴族の財産没収,工場の国有化,生産手段の共有化,農業と工業の融合,児童労働廃絶,無償の義務教育等の「ブルジョワ的所有の廃止」が目標化された[3],[4],[5].
この宣言は,人類の歴史は人間の意思ではなく,生産力(経済)の向上・発展という物質的な変化によって形成されてきたという唯物史観の考え方に基づいている.

参考文献・資料
[1]  ウィキペディア(Wikipedia),2014年ウクライナ騒乱,
https://ja.wikipedia.org/wiki/2014%E5%B9%B4%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E9%A8%92%E4%B9%B1 ,2022年3月25日アクセス
[2] 国際連合広報センター,国連憲章, https://www.unic.or.jp/info/un/ ,2022年3月25日アクセス
[3] ウィキペディア(Wikipedia),共産党宣言,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%AE%A3%E8%A8%80 ,2022年3月25日アクセス
[4] 魏旭著,高晨曦訳,マルクス経済学の理論体系の論理的出発点と論理的帰結について,Discussion Paper No.294,中央大学経済研究所,13p(2017),
https://www.chuo-u.ac.jp/uploads/2018/11/7632_31122discussno294.pdf?1652832000149 ,2022年3月25日アクセス
[5] 森岡真史, 社会主義の過去と未来─科学・闘争・規範, 経済理論,第48巻,第1号,pp26-38(2011)
[6] フランシス・フクヤマ著,渡部昇一訳・解説,佐々木毅・新版解説,歴史の終わり(上),(下),三笠書房(2020)
[7] 日本経済新聞,戦後生まれ8割 戦争の記憶,令和に語り継ぐ, 2020年8月15日,
  https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62603010T10C20A8MM0000/ , 2022年3月25日アクセス
令和4年3月
以上

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