コラム KAZU'S VIEW

2022 年08月

戦争と平和について-77年前の体験はどのように日本人に引き継がれるか-

 8月という月は.多くの日本人にとって「戦争」のイメージが強い月ではないか.戦後生まれの日本人の割合が8割を超えている[1].アジア太平洋戦争[2]は,日本人にとって,記憶ではなく歴史になりつつあるという.しかし,TV番組やニュースを通じて多くの日本人は,戦争というものについて考える機会が多い月である.特に,ロシアのウクライナ侵攻やこれに呼応した中国の台湾侵攻リスクなどに関する映像や音声が,日本人に戦争というモノに何らかの感情を呼び覚ます.戦争を験者した語り部達の,次世代の日本人への戦争に対するメッセージを祈りとして託した積み重ねが,日本人にそんな心根を思い起こさせているのかもしれない.そんな戦争と平和について77年前を思いつつ,今を生きる者として,今後に引き継ぐことを考えてみた.

  戦争の定義らしきものを上げて見ると,「戦争とは,兵力による国家間の闘争である[3]」, 「軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと.特に,国家が他国に対し,自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態[4]を言う」などがある(注1).日本に国家なるものが出来てから,この定義に該当するものを上げると,まず,白村江(ハクスキエ:663年)の戦いが上がる.この戦争は,第38代天智天皇(注2)の時代に,唐と新羅の連合軍と日本との間に起きたもので,日本の敗戦となっている.この時,日本は,大化の改新と呼ばれる律令制度を基盤とする国家作りが進められていた.次の戦争は,日本が戦争を仕掛けられた形での戦争になろう.平安時代の1019年に起きた刀伊(トイ)の入寇(ニュウコウ)と呼ばれるものである.これは,女真族(注3)を中心とする一種の海賊集団が,壱岐,対馬や北九州に侵攻したというものである.相手が国家という明確な組織ではないが,日本側は,当時の国軍である太宰府の兵を使って,これを撃退し,高麗まで追い返したとされる戦争になろう.次に,いわゆる元寇(ゲンコウ)と言われる文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の2回に渡たる戦争になる.元(1271-1368年)と高麗(918-1392年)の連合軍が壱岐,対馬や北九州に侵攻した.文永の役では元と高麗の連合軍は3万人,弘安の役では14万人の規模とされ,後者の規模は当時世界最大規模の軍隊だったとされる.しかし,いずれの侵攻も,当時の国軍である御家人の活躍と暴風雨により, 元と高麗の連合軍は撃退されている.一方,日本が仕掛かけた戦争が,秀吉による明と朝鮮に対する文禄(1592-93年)・慶長の役(1597-98年)である.その結果は,両者痛み分けであった.そして,日清戦争(1894-95年),日露戦争(1904-05年),第一次世界大戦(1914-18年)では,日本は戦勝国となり,日中戦争(1937-45年)からアジア太平洋戦争(1941-45年)を経て,敗戦へと続いた.そして,1947(昭和22)年5月3日に施行された日本国憲法の第2章第9条で「戦争放棄」を明記して,今日に至っている[7](注4).

日本人がこれまで経験した最後の戦争は, アジア太平洋戦争になる.この戦争による日本人の死者数は,軍人が212万人,民間人が50〜100万人の合計262〜 312万人と推定されている[8],[9].民間人の数値に幅があるのは,軍人に比べ死亡原因の特定が難しい点や国による統計が不十分である等原因と考えられる.吉田[10]によると,310万人におよぶ死亡者の9割が1944年以降の戦争末期に集中しているとされ,そのほとんどは戦闘ではなく,30万人を超える海没死,餓死,戦病死,特攻などによるものとしている.特に民間人の空襲による犠牲者は,1945年3月10日の東京下町を襲った東京大空襲を皮切りに,街を焼き払う無差別爆撃によって日本全国の主要都市がその被害を受け[11],[12],その死者数は50万人以上ともされている[13].この時期に無差別に空襲された都市は,東京や大阪だけではない.1940(昭和15)年にナチス・ドイツが,イギリスのロンドンを連続57日間に渡って夜間空襲をしている.この空襲で亡くなった民間人は4.3万人以上とされている.当時のイギリス政府は空襲に備えて防空壕を多く設置し,そこに入りきれない人々には,地下鉄構内へ避難するように誘導した.一方,東京大空襲では,一晩で10万人近い方が亡くなっている.日本では空襲の時に地下鉄施設を防空壕として使用したという話は聞いた事が無い.なぜ,日本ではイギリスと同じようなことができなかったのか.1945(昭和20)年3月時点で,東京には銀座線(1927(昭和2)年に浅草〜上野間が開通),大阪には御堂筋線(1937(昭和12年)完成)等があったにもかかわらず.この背景には1944(昭和19)年6月に内務省などが制定した「中央防空計画」[14]なるものがあり,そこには,「地下鉄道の施設は,これを待避または避難の場所として使用させない」と明記されている.空襲になると,地上は火の海になるので,軍需物資や兵員を運ぶことができなくなってしまう.空襲時に地下鉄は唯一の交通機関になり,そのインフラの維持を優先すべきという考えが当時の政府にはあった.従って,空襲が起きた時に地下鉄構内に逃げ込むことは禁止され,空襲になると,駅のホームや地下鉄の車内にいた人は地上に追い出され,入口は閉鎖された.さらに,「防空法」という法律があり,その中に「都市部から逃げてはならない」,「空襲で家屋が燃えたら防空壕から出て,隣組で協力をして消火活動をせよ」などが規定されていた[15].これらの法律や政策が一般市民の犠牲を多くしたと考えられる.
 
 日本はいくたびも戦争を行って来た.その帰結として300万人を超える同胞の命をもって現在の国体を保っている.77年前の日本人の体験は,平和憲法や様々な平和維持活動,海外支援などの経済活動や外交活動を通じて現在まで活かされてきたと信じたい.しかし,このところ,東アジアの軍事的緊張状況が表面化してきており,これを背景として自衛隊の合憲化や防衛予算の増加(注5)などが政治的課題になって来ている.一方,国際的な平和維持活動を見ると,第二次大戦後に設立された国際連合によって国際平和と安全の維持(安全保障)活動が進められて来ている.ところで,平和とは,国際関係において戦争が発生していない状態を意味する.戦争は,宣戦布告により始まり,平和(講和)条約締結で終了し,平和が始まるとされた[16].しかし,第二次大戦後の戦争は,宣戦布告もなく,休戦協定も守られないことが多い事から,戦争と平和の区別が不明確になった.そのため,戦争という用語に代わって,「武力行使」や「武力紛争」等が用いられるようになったと吉川[16]は指摘している.さらに,彼は国家間の平和は,国家安全保障強化を目的とした方策として国際紛争の平和的解決法として機能を果たして来たと評価する.しかし,内戦と言われる国家内での戦争が考慮されていなかったために,国家権力により個々人の身の安全が脅かされるという問題が大きくなり,人権侵害や人道的危機(注6)が,「平和が必ずしも人間の安全を保障しない」という問題提起をしている[16].今回のロシアによるウクライナ侵攻の発端は,ウクライナ国内における親ロシア系住民の弾圧を理由とした(注7)ロシアの特別軍事作戦となっている.さらに,人権侵害や人道的危機の問題は,国家体制の専制主義対民主主義の対立構造(注8)を鮮明化し,国際的緊張感を益々高めている.人間の感情側面としての闘争本能が,戦争の根本動機になっている.これを理性としての平和希求願望によってどのように調和を保って行くのか.77年前の先人達の体験を日本人のレガシー(遺産)として受け継ぎ,今の日本人が上記課題にどう取り組んで行くのかを冷静に検討する必要性を感じる.

(注1)日本国憲法に記載の「戦争」は, 国権の発動たる戦争としての解釈として以下の様に解説されているが,ここでは国際法上の定義とは別に一般的通念レベルでの定義に止める.
国権の発動たる戦争とは,国際法上,国の主権の発動として認められていた兵力による国家間の闘争であって,宣戦布告又は最後通牒の手続により明示的に戦争の意思表示をするか,あるいは,武力行使を伴う国交断絶の形式で黙示的に表明することを要件とするとともに,交戦法規,中立法規等の戦時国際法が適用される形式的意味での戦争を言うとされる.なお,「国権の発動たる」という形容句は,戦争が伝統的に主権国家に固有の権利として観念されてきたことを表すものであって,国権の発動でない戦争の存在を認め,そのような戦争は放棄しないという趣旨ではないとされる[5].
(注2)天智天皇の在位は,668〜672年になっているが,第37代斉明天皇(天智天皇の母親で,第35代皇極(コウギョク)天皇と同一人物で重祚した女性天皇)が661年に崩御した後に,天智天皇は皇太子として称制(ショウセイ)に当たっていた時に白村江の戦いが起きている.なお,称制とは, 君主が死亡した後,次代の君主となる者(皇太子等)や先の君主の后が,即位せずに政務を執ること.
(注3)満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満洲にかけて居住していたツングース系民族が女真族.民族の聖地を長白山とする.10世紀ごろから記録に現れ,17世紀に満洲(マンジュ)と改称した[6].金,後金,清という国家を作っている.
(注4)日本国憲法第2章第9条の条文は以下の様になっている.「日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する.2 前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない.国の交戦権は,これを認めない.」[7] 
(注5)政府が令和3年12月24日に閣議決定した2022年度当初予算案で,防衛費(デジタル庁の予算に計上される318億円を含む)は,前年度比583億円増の5兆4005億円となり,過去最大を更新した.防衛費の増額は10年連続の増加となっている[17].
(注6)人権侵害や人道的危機は,国家安全保障の名目で政府権力による人民の大量殺戮(massacre),ジェノサイド(genocide)や基本的人権の侵害などを意味する.これらの被害者データや事例は文献[16],[18]を参照.
(注7)2022年2月24日にウラジーミル・プーチン大統領がロシア国営テレビチャンネルで行った演説では,「ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の要請に応えてウクライナの非軍事化と非ナチ化を目的に特別軍事作戦を実施する」となっている.このドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国は,ウクライナのドネツク州とルハーンシク(ルガンスク)州であり,ウクライナの国内問題にロシアが軍事行動を起こしたことを意味している.
(注8)ブルース・ラセット(Bruce Russet)[19]は, 以下の論理構成で民主主義による平和論を提案している.
これまで民主国家と民主国家の間には戦争が発生していない.それは,民主国家の間には相互に戦争を抑制するような制度と文化が備わっていると考えられるからである.従って,世界のすべての国が民主国家になれば論理的には戦争は発生しないはずである.だから,世界のすべての国を民主化させることによって平和は実現する.

参考文献・資料
[1] 日本経済新聞社, 戦後生まれ8割 戦争の記憶,令和に語り継ぐ, 2020年8月15日,
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO62603010T10C20A8MM0000/
,2022.8.18アクセス
[2] 倉沢愛子, 杉原達,成田龍一, テッサ・モーリス・スズキ, 油井大三郎他編,岩波講座 アジア・太平洋戦争:全8巻,岩波書店(2005)
[3] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),戦争,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89#cite_note-%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95%E8%BE%9E%E5%85%B8217-219-1,2022.8.18アクセス
[4] DIGITALIO, Inc. ,コトバンク,戦争,
https://kotobank.jp/word/%E6%88%A6%E4%BA%89-88482 ,2022.8.18アクセス
[5] 衆議院憲法調査会事務局, 「憲法第9条(戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認)について〜自衛隊の海外派遣をめぐる憲法的諸問題」に関する基礎的資料,安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成15年7月3日の参考資料),衆憲資第33号,p.10
https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi033.pdf/$File/shukenshi033.pdf ,2022.8.20アクセス
[6] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),女真,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E7%9C%9F ,2022.8.20アクセス
[7] 国立国会図書館,日本国憲法の誕生-憲法条文・重要文書,
https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html ,2022.8.18アクセス
[8] 舟橋精一, 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数,http://nvc.starfree.jp/TR7M.htm
 ,2022.8.22アクセス
[9] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),第二次世界大戦の犠牲者,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85
,2022.8.22アクセス
[10] 吉田 裕,日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実, 中央公論新社 (2017)
[11] 総務省, 国内各都市の戦災の状況,
https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/index.html
,2022.8.22アクセス
[12] 本川 裕,主な空襲による死者数,社会実情データ図録,
http://honkawa2.sakura.ne.jp/5226d.html ,2022.8.22アクセス
[13] 窪田順生, 東京大空襲で地下鉄への避難が禁じられた理由,コロナ医療崩壊に通じる日本の悪習, ダイヤモンド・オンライン,ダイヤモンド社,
https://diamond.jp/articles/-/308165?page=6 ,2022.8.23アクセス
[14] 大前 治,地下鉄への避難禁止を明記した「中央防空計画」
http://osakanet.web.fc2.com/bokuho/tikatetu.html ,2022.8.22アクセス
[15] 水島朝穂,大前治,検証 防空法・空襲下で禁じられた避難,法律文化社(2014)
[16] 吉川 元,平和とは何か―だれのための平和,友好,そして援助なのか―,広島市立大学広島平和研究所紀要,創刊号,pp.38-60(2013)
[17] 朝日新聞社, 22年度当初予算,防衛費が過去最大に 補正込みでは初の6兆円台,朝日新聞DIGITAL,2021年12月24日16時30分,
https://www.asahi.com/articles/ASPDS4CDPPDRUTFK013.html ,2022.8.22アクセス
[18] 河原節子,人道的介入をめぐる議論と規範の生成,外務省調査月報,2012/No.3,pp.1-29(2012)https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/geppo/pdfs/12_3_1.pdf ,
 2022.8.26 アクセス
[19] ブルース・ラセット著,鴨 武彦訳,パクス・デモクラティア,東京大学出版会(1996)

令和4年8月
以上

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