コラム KAZU'S VIEW

2022 年09月

2人の英国女王エリザベスの価値創造について思うこと

 9月に入り,朝夕はしのぎやすい気候になり,虫の声が聞かれる季節となった.先月,3年ぶりの町会夏まつりを雨天延期の中でなんとか無事に済ませた安堵感が心地よい.そんな時節に,「国葬」(注1)の話題が出ている.元首相の安倍晋三と英国女王のエリザベス2世(エリザベス・アレクサンドラ・メアリー:Elizabeth Alexandra Mary)の死去に伴う葬儀にまつわる話題である.いずれの葬儀もTV中継され,多くの人々が臨場感を持って貴重な体験をした.エリザベス2世の国葬の様子は,BBC(英国放送協会)の映像であったが,最も印象に残った映像は,棺を真上から見下ろす角度での画像だった.死者を上から覗くというアングルは衝撃的であり,棺にかけられた王室旗のロイヤル・スタンダードの赤と黄色が,ウエストミンスター寺院の無機質な白と黒の床のモザイク模様とのコントラストで目を引いた. また,王室旗に乗せられた王冠や宝珠,王笏(杖)のレガリア(regalia;王権の象徴で,三種の神器に相当)とチャールズ3世の手紙も,映像として繰り返し流されていた.この儀式映像を通じて英国王室の伝統と格式という価値の重みを改めて実感することができた.そして,この価値創造に大きく関わった2人のエリザベスという名前の女王について考えてみた.

 イギリス史を遡り,エリザベスとい名前の女王を探すと,エリザベス1世(Elizabeth ;1558-1603在位)の名が,まず,出てくるのではないか.世界に冠たる大英帝国の礎を築いた女王とされる. テューダー朝(注2)第5代にして,最後の君主となったが,彼女の統治した時代は,とくにエリザベス朝と呼ばれ,英国の黄金期を築いた.当時のヨーロッパでは,スペインを中心としたカトリック教国が勢力を持っていたが,プロテスタントとしてのイングランド国教会を国家の精神的主軸として位置づけた[2],[3].そのために,当時のキリスト教世界を支配していたスペイン王フェリペ2世(Felipe II,1556-1598年在位)[4]の怒りを買い,無敵艦隊を差し向けられた.しかし,当時,スペイン必勝の予想を覆し, アマルダの海戦(1588年)は,イギリス艦隊の勝利に終わる.この起死回生の要因の1つとして,エリザベス1世の兵士に直接語り掛けたティルベリー演説(注3)が指摘される.これは,北条政子(1157−1225年)が,承久の乱(1221年)に際し,御家人に発した演説[6]を思い起こさせる. エリザベス1世には,姉のメアリー(第4代メアリー1世)と弟のエドワード(第3代エドワード6世)がいたが,一時は母親の処刑により王位継承権を失った.また,父の姉の孫に当たるメアリー・ステュアート(Mary Stuart;スコットランド女王メアリー1世;1542-1567年在位)との確執も彼女の王位継承を脅かすものであった.新教徒勢力にスコットランドを追われたカトリック教徒のメアリーは, エリザベス1世統治下のイングランドに亡命するが,イングランド王位継承にかかわる政治的事件などでエリザベス女王の命によりロンドン塔に幽閉された後, エリザベス女王暗殺計画に関わるバビントン事件(1586年)に関連し,1587年に処刑された.しかし,メアリーの息子のチャールズ・ジェームズ・ステュアート(Charles James Stuart,スコットランド王ジェームス6世)は,エリザベス1世が生涯独身であり,子供がいなかったため,イングランド王ジェームス1世となり,スコットランド,イングランドとアイルランド王として,ステュアート朝を開くことになり,その血統は今日まで継承されている.彼の名付け親は,エリザベス1世とされる.また,メアリーは,カトリック教徒であったことから,彼女の処刑はスペイン王フェリッペ2世による無敵艦隊派遣の口実となった.なお,スペインとイングランドの関係は,ドレーク船長(Sir Francis Drake;1543-1596年,注4)などのスペイン船に対する海賊行為をエリザベス女王が容認していたことなどから良好な関係ではなかった.彼らが略奪した経済的価値は,当時のイギリス王室の経済基盤を確立し,後の東インド会社設立(1600年)の資金的基盤を築いた.

エリザベス2世(Elizabeth II)は,イギリスのウィンザー朝(注5)第4代女王(在位:1952-2022年)で,イギリスの他14か国の英連邦王国(注6)および王室属領・海外領土の君主であると共にイングランド国教会の首長でもあった. 国王ジョージ6世の第1子・長女として1926年に誕生した.1936年,エドワード8世がアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚を理由に退位(「王冠を賭けた恋」と当時称された)し,その弟であった父Albert Frederick Arthur Georgeが,ジョージ6世としてイギリス国王に即位すると,彼女は推定相続人(王位継承順位第1位)となった.父のジョージ6世は,病弱で吃音(キツオン,ドモリ)症であったため,王族として様々な場でスピーチをすることに大変苦慮していた.その様子は,「英国王のスピーチ」(注7)として映画化されている.この映画の中で,ナチスドイツに対す宣戦布告に至る経緯と英国連邦の一致団結をラジオを通じて呼びかける演説シーンでは,吃音治療医のライオネル・ローグとの協同作業における駆け引きの様子が印象的であり,そのメッセージ内容は,400年前のエリザベス1世が,スペインの無敵艦隊に挑む兵士に向けて発したティルベリー演説のイメージに重なっていた.この映画で,幼少期のエリザベス王女役を演じたフレイア・ウィルソンの演技を通じて,聡明で奥ゆかしい雰囲気を持った少女が,愛する父親の苦悩を肌で感じている様子がうかがえた.やがて,父を継いでエリザベス2世として70年という歴代最長在位を首長として勤め上げた精神力は,このような体験によって培われたと考えられる.彼女は,長じて,1947年に,フィリップ・マウントバッテン(エジンバラ公フィリップ殿下)と結婚し,チャールズ(第1子/王子;チャールズ3世として2022年即位),アン(第2子/王女),アンドルー(第3子/王子),エドワード(第4子/王子)の4人の子女を設けた.しかし,このローヤルファミリーは必ずしも順風満帆ではなかった.特に,チャールズ皇太子とその元妃であるダイアナ・フランセス(Diana Frances)との離婚および元妃の交通事故死は,王室存続の危機問題までに発展した.元妃の死に対する英王室の対応に対し,ダイアナ人気に推された国民感情が,共和制復活,君主制廃止の世論をもり立てた.この危機もエリザベス女王の特別声明と前例のないバッキンガム宮殿での国旗の半旗掲揚により,乗り越えられたとされる.ダイアナ元妃の存在は,エリザベス1世の時代のメアリー・スチュアートの存在と類似しているとの指摘もある.17世紀にエリザベス1世が大英帝国の礎を築き, 19世紀にハノーヴァー朝最後のビクトリア女王(Alexandrina Victoria;イギリス・ハノーヴァー朝第6代女王1837-1901年在位,初代インド皇帝)が大英帝国繁栄の絶頂期を象徴する女王となり,20世紀に第二次世界大戦を機に凋落する大英帝国の遺産を引き継ぎつつ,新たな価値創造(注8)で70年間イギリス王室を維持し,21世紀へと引き継いだエリザベス2世の歴史が幕を閉じた.

 17世紀から21世紀に渡る400年間の英国王室の歴史を,世界的価値創造の視点で見ると,明暗両面が織りなされている.その中で,2人のエリザベスの関係を眺めてみると,1世の時代は,大航海時代というグルーバリゼーションの風向きの中で,キリスト教国の中では新興国で新教徒の国作りとして,その基盤作りに海賊行為というアウトローな戦略を取りながら,新大陸開拓という競争の舞台(プラットフォーム)を形成した時代であった.この風向きは,やがて西欧列強のアジア,アフリカ,アメリカへの植民地獲得競争という武力を主軸とするハードパワーによる負の遺産を抱えた世界を作り上げた.これに対し,2世の時代は,第二次世界大戦を契機として世界的に拡大した民主主義と平和主義という世界的流れの中で,噴出した負の遺産の清算とそれまでに培った英国王室の伝統と権威の維持のための時代ではなかったか.2人の女王が,その王位に着くまでの経緯には,紆余曲折があった.しかも,それぞれ45年間,70年年間の在位期間中には,国内外の多くの課題と直面している.エリザベス2世は,自らの葬儀について自ら様々な指示をしていたという.霊柩車の設計面でも参列者の見やすさを考慮していたと言われている.また,英国民のほとんどが女王に会ったり,直接見たことがあるという声を度々聞くことがあるが,これは「開かれた王室」という新たな価値創造に挑戦した彼女の成果でもあろう.父親の姿を見て,君主としての役割を考え,父親の時代のラジオに代わり,デジタルネットなどの新しい技術を使った王室の広報活動は,英王室と国民間の微妙な距離感を保ちつつ,伝統と権威を温存するというソフトパワーによる戦略性のしたたかさを感じる.葬儀の映像を見ながら,国全体でその死を悼む儀式が行われる一方で,何百人もの人々が戦火の犠牲となり,葬儀さえ行われず,墓標もないまま葬られている映像を重ねて見ると,同じ人間の死の姿の違いに釈然としない気持ちを抑えきれない.人類は,誕生以来,争いや戦争を今日まで続けてきている.戦争の種類も増え,武力戦争,宗教戦争,経済戦争,サイバー戦争など多様化してきている.改めて,民主主義の時代とは何か,国家とは何かを400年に渡る2人の英国女性君主の営みから考えさせられた.

(注1)国葬という用語は, 「国が国家の儀式として,国費で行う葬儀」[1]と定義され,明治以降正式に使用された.1926(大正15)年に国葬令が公布され,国葬の規定は明文化された.その中では,皇族の葬儀や特に国に功績があったと天皇が判断した民間人の葬儀が対象となった[1].しかし,この法令は,1947(昭和22)年に失効している. 戦後は,「皇室典範」で天皇の大喪儀を定めている以外は,国葬の明文規定はない.
(注2)ヘンリー・テューダーによって1485年に始まった王朝.ヘンリー・テューダー(ランカスター家)はボズワースの戦い(1485年)でリチャード3世(ヨーク家)を破ってこの王朝を開いた.彼は,ヘンリー7世として即位した.ランカスター家(赤い薔薇)とヨーク家(白い薔薇)の争いは薔薇戦争(1455-1485年)と呼ばれている.両家は共にエドワード3世(1327-1377年在位;プランタジネット朝)の血統になる[6].
(注3)アルマダの海戦は,スペイン無敵艦隊のイングランド侵攻において,1588年7月から8月にかけて英仏海峡で行われた諸海戦の総称である.これは, 1585年のイングランドのネーデルラント派兵に始まった英西戦争(Anglo-Spanish War;1585-1604年)の一部になる.アマルダの海戦で勝利したイギリス海軍は,その後のスペイン海軍強化に合い,両国間の戦争は膠着状態となった. ティルベリー演説は,スペイン軍がテムズ川河口から遡上してロンドンに攻め上ることを警戒した守備隊に対し,エリザベス1世が,自らエセックス州ウェスト・ティルベリーに甲冑を身にまとい出向き,発した言葉とされる.1998年に,日本ではヘラルドの配給で公開された「エリザベス」という映画で,主演女優のケイト・ブランシェットが兵士に向かって,「〜私はか弱く脆い肉体の女だ.だが,私は国王の心臓と胃を持っている.〜私は王の言葉において約束します,貴方たちは正しく報われます.〜」と語りかけるシーン[5]は感動的である.
(注4)主に奴隷貿易やスペイン船からの略奪行為を生業とした海賊として知られているが,1577年にイギリスのプリマス港を出発し,大西洋からマゼラン海峡を通り,太平洋,マルカ(モルッカ)諸島,インド洋,喜望峰経由で世界一周をマゼランに次いで達成している.この間にホーン岬とドレーク海峡を発見している.この航海で彼が持ち帰った財貨は,航海の出資者であったイギリス王室への配当金として支払われ,王室財政の困窮を解消するとともに,経済的な基盤を作った.これにより,イギリス海軍中将に任命されるとよもにともにナイト(サー)の称号が授与された.また,アマルダの海戦では副司令官として実質的指揮を執り,イギリス海軍を勝利に導いたとされる[7].
(注5)ハノーヴァー朝(1714-1917年/1901-1917年までをサックス=ゴーバーグ=ゴータ朝ということもある[8])が,1917年に始まった第一次世界大戦を期に王宮の所在地にちなんだウィンザー朝となった.その理由は,ハノーヴァーはドイツ風の名称であり,大戦中はドイツとイギリスは敵対関係にあったからとされる.ハノーヴァー朝は, ステュアート朝に代わり,1714年からドイツのハノーヴァー選帝侯ジョージがイギリス王ジョージ1世として即位したことにはじまる王朝であった.なお, ハノーヴァー朝への移行は,1701年にウィリアム3世(William III, 1689-1702年在位)が発布した王位継承令「今後の王位はステュアート王家の血を引くプロテスタントでなければならない.」に基づき,ドイツのハノーファー(ドイツ語読み)選帝侯が継承することになった[9].
(注6)コモンウェルス・レルム(Commonwealth realm)は,イギリスの君主に在位する者を自国の君主(国王)・元首として戴く,個々の独立した主権国家を指す.[10],[11]
(注7)監督トム・フーパー, 脚本デヴィッド・サイドラー,主演コリン・ファース(ジョージ6世役)で2010年に放映され, 第83回アカデミー賞の作品賞,監督賞,主演男優賞,脚本賞をはじめとして世界各地の映画関連賞を60以上受賞した作品.ジョージ6世と彼の吃音症治療を行ったライオネル・ローグの友情を中心に描かれている.
(注8)第二次世界大戦までは,英米ソの3大国のメンバーであった英国は,戦後,それまでの植民地の独立や経済力低下などによる影響力の低下が著しい時代を迎えていた.これに対し,独立するかつての植民地に対し, 英連邦王国の君主という象徴的価値としての関係性維持戦略やビートルズをはじめ多くの音楽家に対する勲章授与などは,イギリス音楽勢力を国際的に高め,それまでの英国の軍事力を中心としたハードパワーによる国際的リーダーシップから,象徴や音楽といったソフトパワーによる英国のプレゼンス高揚に多くの貢献をした.2012年のロンドンオリンピックの際に,国際的な注目を集める式典で女王は果敢に主役を務め,ダニエル・クレイグ演じるジェームズ・ボンドとの共演を実現した映像と「こんばんは,ミスター・ボンド」というセリフは記憶に新しい.

参考文献・資料
[1] 株式会社DIGITALIO, 株式会社C-POT,国葬,コトバンク,
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E8%91%AC-64093 ,2022.9.18アクセス
[2] 教材工房, テューダー朝-世界史用語解説 授業と学習のヒント-, 
https://www.y-history.net/appendix/wh0603_2-053.html ,  2022.9.18アクセス
[3] 水井万里子, 図説 テューダー朝の歴史, 河出書房新社 (2011)
[4] 立石博高, フェリペ2世 : スペイン帝国のカトリック王, 山川出版社(2020)
[5] You Tube, Gariben TV,[英語スピーチ]ティルベリー演説-エリザベス1世演説,
https://www.youtube.com/watch?v=YIpRcuehMd4 ,2022.9.18アクセス
[6] 西田友広,吾妻鏡,KADOKAWA (2021)
[7] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), フランシス・ドレーク,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AF ,2022.9.18アクセス
[8] 教材工房, ハノーヴァー朝/ハノーファー, -世界史用語解説 授業と学習のヒント-, http://www.y-history.net/appendix/wh1001-086.html , 2022.9.18アクセス
[9] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),ウィンザー朝,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B6%E3%83%BC%E6%9C%9D , 2022.9.28アクセス
[10] United Kingdom Wiki*,コモンウェルス・レルム,
https://wikiwiki.jp/britain/%E3%82%B3%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%A0 , 2022.9.28アクセス
[11] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),英連邦王国,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%B1%E9%80%A3%E9%82%A6%E7%8E%8B%E5%9B%BD , 2022.9.28アクセス
令和4年9月
以上


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