コラム KAZU'S VIEW

2022年11月

夢を追い続けること−岩倉舞とスバンテ・ペーボへの共感性−

スバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)は,エストニア系スウェーデン人で,2022年のノーベル生理学・医学賞を「絶滅したヒト科動物のゲノムと人類の進化に関する発見」で受賞した遺伝学者である.古遺伝学の創始者の一人であり,ネアンデルタール人のゲノムの研究[1]に大きく貢献した.岩倉 舞(イワクラ マイ)は,2022年度後期放送のNHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」(注1)のヒロインで,女優の福原 遥(フクハラ マイ)が演じている.この二人の夢を追う姿に共感を持った.

  2022年10月3日,スウェーデンのストックホルムにある医科大学のカロリンスカ研究所ノーベル賞会議は,2022年のノーベル生理学・医学賞をスバンテ・ペーボに授与する事を決定した,という報道がなされた.耳慣れない名称の人物だったのでネットで情報収集した結果,彼の著書の和訳書「ネアンデルタール人は私たちと交配した」[1]にたどり着いた.本屋や通信販売で探したが,結局,入手できず,新しくできた県立図書館の蔵書検索で見つけたが,既に貸出されており,探し始めてから3週間以上かけて,やっと手元にとどいた.一見して,読むのに時間がかかるように思えたが,割とすんなり読み通すことができた.かなり,専門的な用語が並んでいたが,「PCR(注2)」や「ミトコンドリアDNA(注3)」といった聞き慣れた単語が出て来て親しみを感じた.内容面で印象に残ったことは,彼が妻帯者で子供もいるが,同性愛者でもあるバイセクシュアルであること,研究者として30年間コツコツと地道な研究成果を積み上げ,夢を追い続けてこれを実現した生き様を自ら振り返っている姿を淡々と述べている点であった.ペーボの父親スネ・ベリストロームも,1982年にノーベル生理学・医学賞を受賞している(注5). ペーボは学生時代にミイラのDNA復元に挑んだが, その際,古代人のDNAには現代の微生物や人間のDNAが混入し,正確に増幅するのは非常に難しいという課題に直面する.この課題解決には,DNAの精密な復元方法の確立が必要であることを認識し,再現性のある科学的知見に執着したことが彼の夢である「4万年前のネアンデルタール人ゲノム解読(注6)」の実現を結果的に可能とした. そして,現生人類とネアンデルタール人(注7)のDNAの比較は, 日本人を含む非アフリカ人はすべて,2−5%のネアンデルタール人DNAを持つのに対して,アフリカ人は持たないこと,これは,5万年ほど前にアフリカを出た現生人類が中東でネアンデルタール人と交配して世界中に広まったことを,これまでの化石と遺物からの推測ではなく,遺伝子情報によって科学的に裏付けた[1].この成果によって, ネアンデルタール人と現生人類を分けたものが何だったのか,彼らの遺伝子が私たちの中でどんな働きをしているのか,というような新たな謎解明に向けての夢の扉を開けつつある[2].

  岩倉 舞の夢の追い方は,ドラマの進行に合わせて臨場感を持って体験できる.その発想は,「今,生きていることを実感できる」ものから夢を描き出す,というものである.転地療養のために出かけた母の実家である長崎県五島のばらもん凧を通じて,空への憧れと艱難に立ち向かう姿勢の芽生えを抱き,やがて人力飛行機を通じて空を飛ぶことに魅力を覚え,パイロットになる夢の実現へと人生を進める.このプロセスを通じて,彼女は自分の弱みをさらけ出し,これを仲間と補い合い,周りと共に自己成長していく術を身につけて行く.4年前に「鳥人間コンテストに見る学生気質」[11]というテーマでコラムを書いたが,人生という道のりにおける青春という多感な時期の意味合いを,夢(ありたい姿)と現実(現状の姿)のギャップを認識し,そのギャップを埋めるためのロードマップ(なりたい姿)と,その実践法としてのPlan-Do-Check-Act(実践する姿)の4つの画面でなぞって見ている自分自身が,彼女の生き方への共感性の原因になっているように思われる.

  研究者とパイロットという二人の夢の追い方を通じて,その共感性の原因を考えて見ることで,自分自身のこれまでとこれからを考えようとしている.研究者としての夢の追い方は,自分のこれまでの経験からある程度の心情を実感できる部分が持てる.社会が注目するような研究成果を論文としていかに他の研究者より早く出版できるか,を常に考え,焦りながら行動する.その一方で,論文件数ではなく,気が済むまで時間を十分かけて真実を深掘りしたいという衝動も抑えきれない.そんな心情をスバンテ・ペーボは吐露している.親の庇護の下での人間が自分自身に目覚め,空への憧れという漠然とした思いを抱く.やがて,様々な経験と多様な人々との出会を通じて漠然とした思いが,具体的なパイロットという仕事に変わっていく.この岩倉舞の変化の軌跡は,自分自身の人生を振り返る思いを提供してくれる.迷いつつ,自分自身を見つけながら,その時,その時の夢を描き,これを地道に実現していくことでそれぞれ固有の道のりが形成されて行く.自分のDNAを自分自身で探す姿が,現生人類としてのこれまでの歴史の中で埋め込まれ,我々に受け継がれた共通の遺伝子間の共鳴現象が,「共感」という特性ではなかろうか.

(注1)2022年10月3日から放送中のNHK連続テレビ小説「舞いあがれ!」は,桑原亮子(クワハラ リョウコ)作,嶋田うれ葉(シマダ ウレハ)と佃良太(ツクダ リョウタ)の脚本協力によるものである.ストリーは,子供の頃は原因不明の発熱で体が弱く,引っ込み思案だった性格が,祖母の住む五島列島での転地療養によって,空への憧れを持つようになり,やがて女性パイロットになる夢を抱いて,その夢の実現に向かって様々な困難を克服していくという物語.
(注2)PCRとは正式には,ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction:PCR)といい,生物の遺伝情報をもつDNAを複製して増幅させる方法のことを言う. キャリー・マリス(Kary Babks Mullis)によって1983年に開発された技術であり,彼はこの功績により1993年にノーベル化学賞を受賞している.PCRを利用すれば,ごく微量な血液,組織,細菌,ウイルス等の検体(サンプル)であっても,そこに含まれるわずかなDNAから,特定の配列だけを短時間で増やすことで目的の微生物や遺伝子配列が存在しているかを知ることができる.このPCRの特性を活かして,体内や食品などに潜む細菌やウイルスを検出し,遺伝子の研究や,DNA鑑定など幅広い分野で利用されている[3],[4].新型コロナウイルス感染症のパンデミックの報道を通じて一般化した用語になった.
(注3)ミトコンドリアDNA(mtDNA)は,ミトコンドリアの持つたんぱく質などに関する情報が主に含まれており,母型親を介して子孫に伝わる.ミトコンドリアが分裂する際に複製が行われる.ミトコンドリアに必要な情報の一部は核DNA(注4)に含まれており.ミトコンドリアは細胞の外で単体では存在できない.DNAは核の染色体以外にも存在する.ミトコンドリアはエネルギー産生や呼吸代謝の役目を持つが,この中にもDNAが存在する[5],[6].今年の5月に山梨県道志村で発見された子供の骨の身元確認報道を通じて一般化した用語になった.
(注4)核DNA (nDNA)は,細胞の中に細胞核と呼ばれる細胞小器官を有する生物である真核生物の細胞核に含まれるDNAである.細胞核とは, 細胞の遺伝情報の保存と伝達を行い,ほぼすべての細胞に存在する.細胞小器官(オルガネラ)とは, 細胞の内部で特に分化した形態や機能を持つ構造の総称で,これが高度に発達していることが,真核細胞を原核細胞から区別している特徴の一つとされる.核DNAは真核生物のゲノム(注6)の大部分をコードし,残りはミトコンドリアや色素体が持つDNA(オルガネラDNA)がコードしている.ミトコンドリアDNAが母系遺伝を行うのに対し,核DNAは両親から遺伝情報を受け継ぐ[7].
(注5)スネ・ベリストローム(Sune Bergström)のノーベル賞受賞理由は,「重要な生理活性物質の一群であるプロスタグランジンの発見およびその研究」である. スバンテ・ペーボは, 母親の化学者カリン・ペーボ(Karin Pääbo)の姓を名乗り,父親スネ・ベリストロームの婚外子に当たる[8].
(注6) ゲノム(genome)とは,gene(遺伝子)と集合をあらわす-omeを組み合わせた言葉で,生物のもつ遺伝子(遺伝情報)の全体を指す言葉である.その実体は生物の細胞内にあるDNA分子であり,遺伝子や遺伝子の「発現」を制御する情報などが含まれている.タンパク質は,遺伝子の情報をもとに「転写」・「翻訳」という過程を経て作られる. 遺伝子からタンパク質やRNAが作られることを遺伝子が発現すると言う. 生物を構成する単位である細胞における様々な生命活動の主役は,酵素であるタンパク質が担っている.しかし,タンパク質はDNA分子から直接作られるではなく,まず,DNA分子上のそれぞれの区画である遺伝子からメッセンジャーRNA(mRNA)を作る.この過程を転写と呼ぶ.転写では遺伝子を構成するDNA分子の片側の鎖に相補的なmRNAが作られる.次に,転写されたmRNAの塩基の並びの3個が一組となってアミノ酸対応し,アミノ酸の並びが決められ,それによってアミノ酸が鎖状につながったタンパク質ができる.この過程を翻訳という[9].
(注7)ネアンデルタール人は,約20万年前にヨーロッパで出現した化石人類.学名は,ホモ・ネアンデルターレンシス.ドイツのネアンデル渓谷で発見された.4〜3万年前まで生存し,ホモ・サピエンス(現生人類)とも共存したが,絶滅した[10].なお,「ホモ」とはラテン語のヒトの意味で,「サピエンス」は,カシコイの意味なる.この学名の付け方は二分法(二名法)と呼ばれ,「属名」+「種名」で構成されるラテン語による命名法で,カール・フォン・リンネ(Carl von Linné)により考案されたものである.ちなみに,ホモが属名で,サピエンスが種名に該当し,現存するホモ属の種は1種のみとされる.

参考文献・資料
[1] スバンテ・ペーボ著,野中香方子訳, ネアンデルタール人は私たちと交配した,文藝春
秋(2015)
[2] 篠田 謙一,人類の起源−古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」−,中央公論新社 (2022)
[3] ロシュ・ダイアグノスティックス株式会社, PCRとは(基本情報), 
https://www.roche-diagnostics.jp/ja/general/pcr/pcr_1.html ,2022.11.18アクセス
[4] 神奈川県衛生研究所,PCRって何?
https://www.pref.kanagawa.jp/sys/eiken/002_kensa/02_gene/200626_pcr.html , 2022.11.18アクセス
[5] 国立遺伝学研究所,遺伝学電子博物館,ミトコンドリアDNA- DNA人類進化学〜1.遺伝情報から進化を探る-, https://www.nig.ac.jp/museum/evolution-x/02_a2.html , 2022.11.18アクセス
[6] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),ミトコンドリアDNA,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2DNA , 2022.11.18アクセス
[7] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),核DNA,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B8DNA , 2022.11.18アクセス
[8] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), スネ・ベリストローム, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8D%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%A0 ,
2022.11.20アクセス
[9] 独立行政法人製品評価技術基盤機構, ゲノムとは?
https://www.nite.go.jp/nbrc/genome/description/analysis1.html , 2022.11.20アクセス
[10] 教材工房, ネアンデルタール人,世界史の窓,世界史用語解説 授業と学習のヒント,
 https://www.y-history.net/appendix/wh0100-16.html , 2022.11.20アクセス
[11] 石井和克,鳥人間コンテストに見る学生気質,コラム KAZU'S VIEW, 2018年08月,
 https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=181 , 2022.11.20アクセス
令和4年11月
以上

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