コラム KAZU'S VIEW

2023年03月

野球世界一決定戦で体感したエンターテイメント性創造戦略

弥生の月に入って,三寒四温の時節とは言え,気温差が10度以上の日々が続くとさすがに堪える.そんな中で例年になく早い桜の開花宣言のニュースを耳にする一方で,日本中がWorld Baseball Classic(WBC;注1)での侍Japanの世界一への歩みをハラハラ,ドキドキしながら見守った.予選リーグでは, メジャーリーガーのスーパースターとなった大谷とダルビッシュのプレーが日本の球場で,日の丸を背負ったチームの1員として見られるという機会は,多くの日本人にとっては貴重なものであった.そして,場所をアメリカに移しての決勝トーナメントでは,絵に描いたようなシナリオが試合展開の中でリアルに描き出されていく.予選リーグの段階から,決勝戦が日米対決になることを多くの日本人が思い描いていた.それが1歩づつ現実として近づいて行く様子をTVの解説者は,「漫画のような展開」という表現をしていた.かつて,長嶋茂雄巨人軍監督が作った「メークドラマ」という言葉を思い出させた.新型コロナ,ロシアのウクライナ侵攻,台湾有事などなど気の重いニュースが多い時期を経て,昨年のFIFAワールドカップカタール2022におけるサムライ・ブルーの快進撃ニュース[4]に続き,失われた30年の亡霊を引きずる日本人の心を鼓舞する話題として,より一層そのインパクト性を強めたのではないか.野球,サッカーと相撲は日本人の好きなプロスポーツのトップ3であるが[5],[6],野球とサッカーは球技種目のスポーツであり,チームプレーを特徴とする共通点がある.今回の侍Japanの活躍は,野球のエンターテイメント性,すなわち「楽しめる野球」を改めて強く感じた.その理由について考えてみた.

Baseballの歴史は, 先史時代(石器,青銅器,鉄器時代)にまで遡るとされる.その後,12世紀ころのフランスで,球技の原型と言われるラ・シュールが生まれ,これがイギリスに渡りストリート・フットボール,ラウンダーズを経てタウン・ボールと言われる現在の形にほぼ近い形になったとされる(注4).しかし,現在,我々が知るルールの歴史は, 1846年のアメリカ合衆国が発祥とされている(注5).日本に野球(注6)が入ってきたのは,1871(明治4)年に来日した米国人Horace Wilson(ホーレス・ウィルソン)が,当時の東京開成学校予科(現在の東京大学)で教えたのが始まりで,「打球おにごっこ」という名で全国的に知られるようになったとされる.その後,日本の野球は大学野球として広まった. 現在の高校野球は,1915(大正4)年に第1回全国中等学校優勝野球大会(夏の甲子園)として大阪豊中グラウンドで開催され,その歴史が始まった[8].日本のプロ野球は, 1936(昭和11)年に日本職業野球連盟が東京巨人,大阪タイガース,名古屋,東京セネタース,阪急,大東京,名古屋金鯱の7球団によって設立されたことに始まる[9].そのきっかけは,1934年11月にGeorge Herman "Babe" Ruth, Jr.(ベーブ・ルース)ら米大リーグ選抜チームが来日し,全日本チーム等と対戦した結果が米国チーム16戦全勝となったことを受けての対応と言われている.日本人のメジャーリーガー第1号は,村上 雅則(ムラカミ マサノリ)投手で,1964(昭和39)年サンフランシスコ・ジャイアンツ投手として,初勝利を上げている.以来,60年間に日本人メジャーリーガーは,現役の6名を含め74人出ている[10].

サッカーと野球をルール上で比較してみると,ゲームの勝敗は得点の多少で基本的には決定される.競技は,サッカーは11名,野球は9名で行われるチーム球技である.個人的な関心視点はゲーム戦略である.サッカーは試合の流れに応じて,攻撃と守備をリアルタイムで戦略的に切り替えてゲームが進められるので,連続的に変わる攻守の切替に応じてプレーヤーは個々の判断と行動により展開を進める場面が多い.一方,野球は攻守の切替が段階を追って行なわれるため,タイミングを見ながら監督が命令指示してプレーを進める事が出来るが,投手や打者がプレー時に試合の流れをコントロールする幅は限られる.WBC決勝戦の際に,大谷投手が9回裏に登板するタイミングを考え,栗山監督が8回裏の日本の攻撃の段階で一塁アウトの判定に対してチャレンジ(リプレー検証)を要求した行為は,明らかに二刀流大谷投手のウオームーアップ時間稼ぎの戦術だった.一方,準決勝メキシコ戦で7回1死一塁の守備の際のチャレンジは, 2塁盗塁判定セーフを覆すことで,その裏から始まる猛反撃による劇的逆転劇へのメークドラマに繋なげた.今回の侍Japanの足跡を見るとかつての日本野球のイメージとしてあった管理野球(注7)とはかなり異なるように思われた.これを栗山采配(戦略)と言って良いかどうかは別として,野球のゲーム自体がエンターテイメント化したように思う.それは,選手個々が野球を楽しみ,その楽しさを観客を含めて多くの人たちに伝えるためのゲームを作り上げるという信念によるものと思われる.その具体的な形として大谷選手のイタリア戦でのバンドや,打撃不振を続けた最年少三冠王の村上宗隆(ムラカミ ムネタカ)選手のメキシコ戦における9回裏の逆転ドラマを生み出した「最後はお前で勝つんだ」の声がけ[13]にあったのではないか.今回の侍Japanのメンバーは4人の現役メジャーリーガーをはじめ, Nippon Professional Baseball Organization(NPB)登録の選りすぐりの選手から構成される30人のプレーヤーと7人のスタッフからなるチーム組織になっていた.この組織の能力をどのように引き出し,これを世界一という目標達成のためにチーム全員が理解・共有し,その役割を果たしきれるかを各メンバーが自ら考え,行動し,結果に結びつけたという組織戦略の実践展開プロセスをエンターテイメントとして野球ゲームで見せてもらった.その背景には,監督とメンバー間の信頼形成があったと思われる.ここに,野球において個々のプレーヤーの判断が試合の流れを変えられるところまで入り込むことで,プレーに個性と創意工夫が出て,プレーヤー自身がゲームを楽しむ姿が観客の心を動かし,エンターテイメント性を高めたと考えられる.

日本に野球が伝わって150年余りが経過した.この間,大学や高校などの学校教育を通じてその裾野が広がり,プロ野球が出来て90年の歴史を積み重ねた.そして日本人メジャーリーガーが誕生してからの60年間にMLBでトッププレーヤーとして活躍する日本人が珍しく無くなって来た.そのプレーヤーの中に日本にプロ野球を作り出すきっかけとなったメジャーリーガーの代表とも言うべきベーブルースの記録と並び称される日本人プレーヤーが出てきた.これは,プレーヤーレベルでの日米格差はほぼ無くなったことを意味する.今回の野球世界一決定戦は,この条件下でのチーム力競争が白熱したゲームの緊張感を醸し出し,野球のエンターテイメント性を高めた原因の1つであろう.そこに更に栗山采配によるプレーヤー個々に自分の能力発揮の機会を与え,自ら考え,行動することで責任を果たして行くという場をゲームの中で創り出すという戦略性が加わった.そして,この戦略の成否の鍵は,監督を含む全メンバー間の相互信頼形成にあるという経営哲学があったと考えられる[14],[15].

(注1)ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は,メジャーリーグベースボール(Major League Baseball ;MLB,注2)機構とMLB選手会により立ち上げられたワールド・ベースボール・クラシック・インク(World Baseball Classic, Inc. ;WBCI)が主催する,世界野球ソフトボール連盟(World Baseball Softball Confederation; WBSC,注3)公認の野球の国・地域別対抗戦である.これには,世界一決定戦が含まれる[1]. 2005年7月に大会の正式名称が“World Baseball Classic”と発表された. 2006年3月にMLB機構が選抜した16か国・地域が参加する第1回大会が開催された.その後,2009年に第2回大会が,2013年に第3回,2017年に4回,そして2023年が5回目の開催になる[1].優勝国は,第1,2,5回が日本,3回がドミニカ共和国,4回がアメリカ合衆国である.
(注2)MLBは,アメリカ合衆国(29球団)及びカナダ(1球団)所在の合計30球団により編成されている. 「メジャーリーグ」,「大リーグ」とも呼ばれる.「大リーグ」の呼称は,メジャーリーグの別名「ビッグリーグ (Big League)」の訳語である. 試合形式は,レギュラーシーズンとポストシーズンで構成され,最終的に各リーグの優勝チームがワールドシリーズと呼ばれる優勝決定戦を行いワールドチャンピオンを決定する[2].
(注3)世界野球ソフトボール連盟は,国際野球連盟(International Baseball Federation; IBAF)と国際ソフトボール連盟(International Softball Federation; ISF)を統合する,野球・ソフトボール・ベースボール5の国際競技連盟である[3].
(注4)ラ・シュールは, 2チームに分かれ,足や手,棒などを使い敵陣にある2本の杭の間にボールを通すゲーム. ストリート・フットボールは,ボールに牛・豚の直腸や膀胱を使い,そのボールを敵陣内にあるゴールまで運ぶゲームで,大英帝国によって世界的に拡散された.ラウンダーズは,ボールを石に草の茎や糸を巻き付けるだけで簡単に作れるものにした球技の1種で,投手と打者に分かれ4つのベースを回るというゲームであった. また,18世紀になると選手の中からベテラン選手がチームをまとめる役を果たすようになり,選手兼任で監督も行ったことから,野球監督がユニフォームを着るのはその名残とされる[7].これに対し,サッカーの監督はスーツを着て試合に臨むのは,フットボールの発祥の地がイギリスであり,その監督がパブリックスクールの教員が行っていたなどの歴史的な背景によるものとされる.
(注5)現在の野球の基本となるルールで初めて試合が行われたのは,1846年6月19日にアメリカ合衆国ニュージャージー州ホーボーケンにおけるカートライト率いるニッカーボッカーズとニューヨーク・ナインによる試合とされる.この日は,「ベースボール記念日」もしくは「ベースボールの日」と呼ばれている[7].
(注6)Baseballを初めて「野球」と日本語に訳したのは,当時,第一高等中学校(現東京大学教養学部)の野球部員であった中馬庚(チュウマ カノエ)とされる.中馬は 1894(明治27)年,卒業にあたって部史を刊行することになり,その部史の中で彼が書いた文章中に「野球」が登場する.逸話として,同僚で名投手の青井鉞男(アオイ エツオ)が「千本素振り」をやっている所に,中馬がベースボールの翻訳を「Ball in the field−野球」とすることを言いに来たと言われている.「野球」という表記を最初に使用したのは俳人正岡子規であるが,Baseballを「野球」と最初に翻訳したのは中馬である.しかし,子規は野球用語を数多く翻訳しており,2002年にはその功績によって日本野球殿堂入りしている[9].
(注7)管理野球とは,野球において勝つことを目的とした戦略論の1つ. 管理野球を実践した監督として有名なのがヤクルトスワローズと西武ライオンズで監督を歴任し,日本一,リーグ優勝に導いた広岡達朗(ヒロオカ タツロウ). その内容は,選手の役割分担を決めてそれぞれの役割を完璧に果たすように教育し鍛え上げるプレー面での管理と,夜遊びや度を越した飲酒を禁止し,食事のメニューまで規制を加える生活面での管理の実践とされた[11],[12].

参考文献・資料
[1] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), ワールド・ベースボール・クラシック,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF , 2023.3.12アクセス
[2] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), メジャーリーグベースボール,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB , 2023.3.12アクセス
[3] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 世界野球ソフトボール連盟,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%87%8E%E7%90%83%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%80%A3%E7%9B%9F#cite_note-a-1 , 2023.3.12アクセス
[4] (公財)日本サッカー協会, FIFAワールドカップカタール2022, https://www.jfa.jp/samuraiblue/worldcup_2022/schedule_result/ , 2023.3.12アクセス
[5] 一般社団法人中央調査社,第30回人気スポーツ調査(調査結果の概要),  https://www.crs.or.jp/data/pdf/sports22.pdf , 2023.3.29 アクセス
[6] 鳥居 薫,「第29回人気スポーツ調査」結果の概要〜これまでの調査結果を振り返りつつ〜, 中央調査報(No.765) ,一般社団法人中央調査社, https://www.crs.or.jp/backno/No765/7651.htm#_ga=2.83126930.5487585.1680251469-1947321305.1680251469 , 2023.3.29 アクセス
[7]フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),野球の歴史,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%90%83%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 , 2023.3.12アクセス
[8](公財)日本高等学校野球連盟,大会小史,
 https://www.jhbf.or.jp/sensyuken/history/#01 , 2023.3.12アクセス
[9] 野球殿堂博物館,日本野球の歴史, https://baseball-museum.or.jp/exhibitions/history/
 , 2023.3.12アクセス
[10] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧,
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%87%BA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%AB%E9%81%B8%E6%89%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7 ,2023.3.12アクセス
[11] 野球用語net,管理野球とはどういう意味?選手の意識を変えた指導法とは?https://baseball-one.net/kanriyakyu/ ,2023.3.29 アクセス
[12] 【管理野球】「監督の命令が絶対」のプロ野球チームを作った結果, https://www.youtube.com/watch?v=l_IRiBqR1wk ,2023.3.29 アクセス
[13] 長谷川昌一,村上宗隆へ「最後はお前で勝つんだ」栗山監督が掛け続けた言葉「信頼は揺るぎない」,YAHOO Japanニュース3/21(火) 12:41配信, https://news.yahoo.co.jp/articles/635b4f718851b19eac0c002b381e441314e06662 ,2023.3.29 アクセス
[14] 竹田幸平,WBC優勝の裏に「稲盛和夫の教え」,栗山監督が“直筆の手紙”に記した感謝の言葉とは? https://diamond.jp/articles/-/319893 , 2023.3.29 アクセス
[15] 大田嘉仁,稲盛和夫 明日からすぐ役立つ15の言葉: 一言,一言が効く!三笠書房(2023)
 令和5年3月
以上

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