コラム KAZU'S VIEW

2023年05月

太王四神記から見た朝鮮神話のファンタジー性について

 
 太王四神記(タイオウシジンキ)[1]という韓国ドラマをTVで見た.2007(平成19)年頃から日本でも視聴出来るようになり,当時見た記憶がある.それから16年ほど経ってから再び見る機会があり,再視聴した.最初に見た時は,ファンタジーとして見ていた気がするが,今回は改めて時代背景を重ねながら見直してみた.劇中の台詞に出てくる百済,新羅,伽耶,契丹,後燕,倭などという国名から,当時の東アジアの地勢学的状況を思いながらストーリーを追ってみた.現在,日韓関係は,良好化の兆しが見え始めている[2].その一方で北朝鮮の挑発的行為も目立っている.そんな状況も合わせて,韓国,朝鮮の原点を歴史のファンタジー化の視点で考えてみた.

 このドラマの主人公談徳(タムドク)は, 高句麗(注1)第19代好太王(コウタイオウ:在位:391-412年)をモデルにしている. 彼は,その領土を拡大し,西は遼河(リョウガ),北は開原(カイゲン)から寧安(ネイアン),東は琿春(コンシュン),南は臨津江(リンシンコウ/イムジンガン)流域にまで至った. 好太王碑文(注2)には,在位22年間に64城1400村を獲得したと記されている.そのため, 韓国では広開土王または広開土大王とも呼ばれる.このドラマのプロローグは,以下のようなものだった.紀元前1500年頃, 地上は火の力を持つムン・ソリが演じるカジン率いる虎族が支配していた.横暴な虎族の支配に心を痛めた神の子の ペ・ヨンジュンン演じる桓雄(ファヌン/ファンウン)は,地上に下り,人々が平和に暮らす国チュシン(朝鮮)国を創る.しかし,国を奪われたと思ったカジンは,チュシンの民を襲う.ファヌンは争いをなくすために,カジンから火の力を奪い, イ・ジアが演じる熊族の女戦士セオに与える.火の力は朱雀となり,セオに宿る.やがて,ファヌンとセオは恋に落ち,セオはファヌンの子,檀君(タングン;朝鮮族の祖とされる人物)を身ごもる.密かにファヌンに惹かれていたカジンはこれに嫉妬し,セオを襲う.しかし,戦いの中で生まれた子供を守るため,セオは自らの火を扱う力を制御しきれなくなり,朱雀が暴走する.そこに駆けつけたファヌンはセオを倒す.そして,ファヌンは朱雀,青龍,白虎,玄武の四神(シジン(注3))を神器として封印して,やがて真にチュシンの王となるべき人物(主人公の談徳)が誕生した時にその神器が目覚め,王は封印を解くだろうと予言し,天に戻った,というものである[1]. これは, 檀君神話(ダンクンシンワ(注4))と呼ばれるものが基になっている.この神話に出てくる熊と虎がセオとカジンという女性であり,2000年後にそれぞれスジニとキハという姉妹として再生し,タムドクを挟んでの三角関係を形成するという展開になっている.タムドクとファヌンの2役はペ・ヨンジュンン,キハとカジンの2役はムン・ソリ,スジニとセオの2役はイ・ジアが演じている. 監督はキム・ジョンハク, 脚本はソン・ジナ,演出をキム・ジョンハク,そして音楽を久石譲が担当した[8].

朝鮮半島において文献に登場する最初の国家は,伝説的な箕子(キシ)朝鮮(注5)であり,その後,衛氏(エイシ)朝鮮(注6)が成立したと伝わる. 歴史学的には衛氏朝鮮は,先行する檀君(ダンクン)朝鮮,箕子朝鮮とともに古(コ)朝鮮の一つとして扱われる.しかし, 檀君朝鮮は神話上での存在であり,古朝鮮そのものの存在を認めない研究者もいる. 衛氏朝鮮は, 前漢第7代皇帝武帝(ブテイ:在位は前141-前87年)によって紀元前107年に滅ぼされ,領地は楽浪(ラクロウ),臨屯(リントン),真番(シンバン),玄菟(ゲント)の漢四郡(カンノシグン)として400年間支配されたが,最後は楽浪郡のみが残った. 4世紀中頃に,満州で興った高句麗が南下して楽浪郡北部を征服,百済も楽浪郡などの一部を征服するが,4世紀末までには高句麗が朝鮮半島北部を制圧し,南西部には百済,南東部には新羅が割拠し,いわゆる三国時代と言われた. 高句麗は4世紀の広開土王の代に,南北に領土を拡大し最盛期を迎える.また, 伽耶(カヤ)では全域を統合する勢力はできず,後に百済と新羅により滅ぼされた.伽耶は,任那(ミマナ/ニンナス:414?-562年)と同一視される.この時代は,倭国との交流が盛んで,日本と朝鮮の間を多くの渡来人が行き来した形跡が見られとされている. 7世紀に入ると,新羅が中国大陸の唐と軍事同盟を結び,百済・高句麗を相次いで滅ぼして統一新羅国家として朝鮮半島の大部分を統一した.10世紀になると新羅,後高句麗(ゴコウクリ),後百済(ゴクダラ)の後三国時代(892-936年)を迎えるが,918年に王建(オウケン)高麗を起こし,936年に朝鮮を統一した. 高麗は13世紀にモンゴル帝国(元)の侵攻を受け一時期支配下に入ったが,その後,独立と領土を回復した.しかし,14世紀に李成桂(リセイケイ:李氏朝鮮初代国王:在位1392−98年)が建国した朝鮮王朝が朝鮮半島を制圧した.その後,1897年に朝鮮から国号を変更し,大韓帝国として独立するが,1910年に日本に併合された.第二次大戦後,連合軍の分割統治時代を経て,現在の北朝鮮と韓国として1948年にそれぞれ独立している[11].

 日本人にとってなじみのある朝鮮史は,主に4〜7世紀頃の三国時代以降のものではないか.日本との交流が文化,技術,相互の帰化人や物,さらには白村江の戦い(663年)のような戦争を介して頻繁に行われていたからであろう.この時期は,日本も朝鮮も国家という概念が形成されつつあった時期に当たる.しかし,それ以前の歴史は神話との境界線の議論になる.日本の神話と歴史の連続性については,既に本コラム[12]で田中[13]のアプローチを参考に考えてみた.そこでは,神の国である高天原(タカマガハラ)と人の国である葦原中国(アシハラノナカツクニ)という2つの世界の垂直的位置関係を,「人は死んで神になる」という価値観をおくことで,神と人の関係を規定した上で,天孫降臨を東(鹿島)から西(鹿児島)への水平的関係に変換して,民族移動として捉える田中の仮説に着目し,共感性を持った.一方,朝鮮史における建国の神話では,檀君神話に出てくる天帝の桓因が,庶子の桓雄を地上に遣わし,その子供の檀君が古朝鮮を起こしたとされている.その檀君の母親が, 熊女だという.この話は,神の国の天に対し,地上の国が虎や熊といった動物世界であり,その1種族として人間を位置づけしたことで地上世界の多様性を特徴づけていると考えられる.更に,箕子朝鮮および衛氏朝鮮は,いずれもその建国が中国の殷や漢の流れを汲む人物の手によるものである点は,西(中国)から朝鮮(東)への民族移動としての水平的関係性の主張と受け足ることができる.その一方で,これは中国と朝鮮との上下関係とも解釈できる.ところで, 檀君の母親が元は熊であったという理由は何なのか.なぜ,居合わせた動物が熊と虎だけだったのか.なぜ,虎は物忌みが出来できずに人間になれなかったのか,など色々と疑問が出てくる.しかし,そのような非論理性の中に妄想を駆け巡らせる場を創出することでファンタジー性の幅を広げているのかもしれない.神話と歴史の不連続性が生み出す世界が, 太王四神記のファンタジーとも言えよう.

(注1)高句麗(コウクリ)または,高麗(コマ/コウライ)は, 現在の大韓民国(韓国),朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)北部から満洲の南部にかけての地域に存在した国家.最盛期には中国東北部南部,ロシア沿海地方の一部,および朝鮮半島の大部分を支配した.朝鮮史の枠組みでは同時期に朝鮮半島南部に存在した百済・新羅とともに朝鮮の三国時代を形成した一国とされる. 初代王の朱蒙(シュモウ/ジュモンまたは,東明聖王(トウメイセイオウ))が紀元前37年に建てた国とされ,668年に唐によって滅ぼされた. 朱蒙は,河伯(カハク)という中国神話に登場する黄河の神の娘である柳花(リュウカ)の息子であるとされ,卵から生まれたとされる神話上の人物. 夫余(フヨ)王の金蛙(キンア)王が,白頭山(ハクトウサン)の南の優渤水で柳花に出会ったとされる[3]. 朝鮮族の祖とされる檀君(タングン)は,天からつかわされた桓雄(ファヌン)の子として,白頭山で生まれたとされている[4].このことから白頭山は朝鮮人の発祥の地とされる.
(注2)この碑は,好太王の業績を称えるため子の長寿王(高句麗第20代国王:在位:413-491年)が作成したもので,碑文によると西暦414年10月28日に建てたとされ,1880年に清の農民によって発見された.4世紀末から5世紀初頭の朝鮮半島史や古代日朝関係史を知る上での貴重な一次史料とされる[5].
(注3)四神とは,東西南北の四方を守る神(守護神)のことで,「方位の四神」とも呼ばれる.東は青龍(セイリュウ),西は白虎(ビャッコ),南は朱雀(スザク,スジャク),北は玄武(ゲンブ)の四神(霊獣)をいう.四神の信仰は,古代中国で誕生し日本に伝えられた.奈良県明日香村のキトラ古墳や高松塚古墳の四方の壁にもこの四神の図が見られる[6].     
(注4)檀君神話とは, 古朝鮮の建国神話.天孫の檀君(タングン)が古朝鮮を開き,その始祖になったというもの.その内容は,太古の昔,桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた.桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので,天符印三筒(鏡・剣・鈴)を与えて天降りさせ,人間世界を治めさせた.部下3000人を率いた桓雄(ファヌン)は,太伯山(テベクサン/白頭山とする説は誤りとされる)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした.このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて,人間に化生することを念願していた.桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて,100日間日光を見ないように告げた.熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが,虎は物忌みができず人間になれなかった.桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ,檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ.檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に,平壤を都として朝鮮と呼んだ.のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して,1500年間も国を治めた[7].ドラマに登場する2人の女性は,熊女が熊族の女戦士セオ,虎族を率いるカジンは人間になれなかった虎がモデルになっていると考えられる.
(注5)箕子朝鮮は,中国の殷最後の王である第30代帝辛(テイシン/紂王:チュウオウ)の親族である箕子が朝鮮に開いたとされる国家で,漢代(前206-後220年)に楽浪郡を始めとした朝鮮半島の漢四郡に移住した漢人たちによって作られた神話・伝承であり,史実ではないとするのが一般的である[9].
(注6)紀元前202年に漢が中国を統一すると,櫨棺(盧綰:ロワン)というものを燕王としたが,その領域は遼河までとした.前195年,燕王が匈奴に亡命した際,燕人の衛満(エイマン)は一千人を率いて朝鮮に亡命に,漢民族の亡命者や朝鮮の現地人を支配し,箕子朝鮮の王を追放して王となり,都に王倹城(現在のピョンヤン付近か,異説もある)を築き,半島の北西部を支配するようになった.漢の遼東太守は,衛満を外臣とし,遼東郡外の異民族の支配を委せ,その代わり異民族が漢に朝貢するのを妨げないことを約束させたので,衛満はその支配を朝鮮半島南部にも及ぼした.衛氏朝鮮は衛満から孫の右渠(ウキョ)まで三代,約90年にわたって存続し,最後は漢の武帝により滅亡した[10].

参考文献・資料
[1] BSフジ, 太王四神記, https://www.bs4.jp/taiou_shijinki/outline.html , 2023.5.28アクセス
[2] 外務省,日韓首脳会談, https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page1_001709.html , 2023.5.25アクセス
[3] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),高句麗, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97 , 2023.5.28アクセス
[4] 東北大学東北アジア研究センター,伝説の白頭山, http://www.museum.tohoku.ac.jp/past_kikaku/paekdusan/sec2/second.html , 2023.5.22アクセス
[5] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 好太王碑,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91 , 2023.5.25アクセス
[6] 福田博通, 四神(青龍・白虎・朱雀・玄武),神使像めぐり, http://shinshizo.com/2017/07/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%EF%BC%88%E9%9D%92%E9%BE%8D%E3%83%BB%E7%99%BD%E8%99%8E%E3%83%BB%E6%9C%B1%E9%9B%80%E3%83%BB%E7%8E%84%E6%AD%A6%EF%BC%89/ , 2023.5.22アクセス
[7] 東京自由大学,檀君神話(文献神話), 韓国の思想と文化, http://jiyudaigaku.la.coocan.jp/kannkoku/sinnwa.htm ,2023.5.22アクセス
[8] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 太王四神記, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E8%A8%98 , 2023.5.22アクセス
[9] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),箕子朝鮮, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AE%95%E5%AD%90%E6%9C%9D%E9%AE%AE#: , 2023.5.22アクセス
[10] 教材工房, 衛氏朝鮮-世界史の窓, https://www.y-history.net/appendix/wh0203-098_1.html ,2023.5.22アクセス
[11] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 朝鮮の歴史, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2 ,2023.5.22アクセス
[12] 石井和克,2022年6月「日本人のルーツを考えてみる-神話と歴史を融合するアプローチへの共感性-」, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=227 ,2023年5月22日アクセス
[13] 田中英道,日本国史・上-世界最古の国の新しい物語,育鵬社(2022)
 令和5年5月
以上

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