コラム KAZU'S VIEW

2023年09月

白山手取川ユネスコ世界ジオパークを再び訪れて妄想したこと

 
9月に入って2回目の連休となった.8月までの酷暑が嘘のように,このところ朝夕の肌寒さを意識できるようになった.暑さから涼しさへの変化のありがたさを思い知らされた.夏から秋への変化と冬から春への変化の違いを改めて実感できた機会に恵まれた.2023年9月8日(現地時間)にモロッコのマラケシュ・サフィ地方で発生したモロッコ地震は,M(マグネチュード)6.8で,当地のここ100年間で最大の規模であり,1960年の地震(アガディール地震,M5.9)以来の甚大な被害が出たという[1].この地震に関する地元金沢でのニュースは,「モロッコで地震遭遇の白山市長,会議場前のテントでジオパーク認定証」[2]の見出しで伝えられた.モロッコの方々には申し訳ないが,このニュースで白山手取川ジオパークの世界ジオパーク認定がこの5月になされたことをはじめて知った. 白山手取川ジオパークについは,2020年のコラム[3]で触れていたので気にとめていた.更に,渇水による手取湖の水位が下がり,このジオパークの一角をなす桑島化石壁(クワジマカセキカベ)の下部の地層が今まで水面下にあったものが直接見える,という地元紙の記事を見て,興味をそそられていた.天気の良い日を選んで,久しぶりに早起きして桑島化石壁に行ってみた.再び数億年前の世界に身を置くという妄想を楽しみにして.

白山手取川ユネスコ世界ジオパークは,「山−川−海そして雪;いのちを育む水の旅」をテーマとしている[4],[5].そのイメージキャラクターとして「ゆきママとしずくちゃん」という,かわらしい2つがある.中生代白亜紀における多様な生物の進化の手がかりとなる桑島化石壁などから構成されている.白亜紀は1億4500万年前から6600万年前までの中生代最後の紀とされ,その末期にはユカタン半島およびメキシコ湾に巨大隕石が落下したことで気候変動が起き,多種類の生物が同時に絶滅したとされる.また,桑島化石壁は1億5000〜3000万年前の動植物化石層で,日本で最初の古生物学論文は化石壁産出化石に関する内容であった.このことから,日本の地質学発祥の地とも呼ばれ,1957(昭和32)年に国の天然記念物「手取川流域の珪化木産地」とされた[3].3年前に訪れた時は,手取湖には十分水があり,川底などは見えなったが,今回は川底があらわに露出し,川の流れがはっきり見える状態までになっていた.今まで水に隠れて見えなかった地層の縞模様がくっきりと確認出来た.今回は, 桑島化石壁のあるトンネル内を出た所の通行止めの看板を通って,1Km程,先を歩いて見た.2〜3mの道路幅の片方は手取湖の湖床で,その反対側は50m程そそり立つ岩肌から太い樹木が突き出した異様な景色であった.道路には岩肌が崩れ落ちた岩がゴロゴロとならび,落石注意の看板があちこちに見えていた.一際は熱かったこの夏を経験していたので,日中ではあったが遺跡付近の風は涼やかで気持ちよく,時折聞こえる鳥のさえずりと共に秋の訪れを肌で感ずるのに十分であった.加えて,すすきの穂先が目でも秋を伝えてくれていた.

この地球上に人類が誕生したのはおよそ700万年前のアフリカであるとされる. 人類と類人猿を区別する指標の1つに直立2足歩行がある.この直立2足歩行を最初に行ったとされているのが初期猿人アルディピテクス・ラミドゥス(Ardipithecus ramidus;約440万年前に生息)(注1)とされている.その後,人類は,猿人(400〜200万年前に出現:アウストラロピテクス;Australopithecus),原人(約180万年前に出現:ホモ・エレクトゥス;Homo erectus),旧人(約20万年前に出現:ネアンデルタール人;Homo neanderthalensis),新人(ホモ・サピエンス;Homo sapiens;約4万年前に出現:クロマニョン人;Cro-Magnon manなど)の順に進化してきたという[7],[8](注2).文字が生まれたのは,紀元前3000年ごろである.人類が文字をもつ以前を先史時代(紀元前3000年以前),以後を歴史時代(紀元前3000年から現代までのおよそ5000年)と呼ぶ[8].地球の歴史が46億年,白山手取川ユネスコ世界ジオパークが1〜2億年,人類が誕生して700万年,そして人類が文字を使い出して5000年(注3)という時間の流れで考えて見ると,近代科学技術が誕生してからの400年(注4)という現在に直結する時間の短さは,正に一瞬のきらめきに過ぎない.しかし,その影響と範囲は地球およびその歴史の46億年へと広がっている.宇宙誕生の謎解明[12]や環境破壊,その結果としての気候変動といった現象への直面である.

チンパンジーと同じ祖先である類人猿から700万年の歴史の中で,人類は数個の「属」と20個以上の「種」に分かれたとされている[7],[14].しかし,現在はホモ・サピエンス,すなわちホモ(ヒト)属のサピエンス種の1つのみが生き残ったとされる. 同じ先祖を持つネアンデルタール人は既に絶滅しているが,彼らと時間と空間を共有していた.従って,当然現生人類のホモ・サピエンスにも絶滅の危機があり,これを切り抜けたといことが現時点では実証されている.その危機は,気候変動による食糧不足とされ,一時期には1万人程度までその数が減少したとされている[7].その痕跡として,この種のDNAの多様性が他の生物に比べて少いことが指摘されている.DNAの多様性への回復には相当の時間が必要とされている[7].そして,この危機を乗り越えた要因として多く指摘されているのが,この種の持つ社会性とそれを支える言語能力である.社会性とは大きな組織・集団を作れる能力の意味である.ヒトが作り出す組織・集団は,現在,地球規模に拡大しており,これを促進しているのがインターネットに象徴される現在の最先端科学技術の1つであるデジタル技術になる.この技術はこれからこの種が再び直面するかもしれない危機を回避できるのであろうか.440万年前に初めて直立2足歩行をしたとされるアルディピテクス・ラミドゥスは,自由になった手で獲物を持ち帰り,家族に食料を運んで供給したとされる.これは,人類がはじめて抱いた家族愛と解釈されている.そして180万年前, ホモ・エレクトゥスが集団による老人介助という社会愛,すなわち,「思いやり」,「共感性」という血縁関係のないヒト同士間の心の絆,人間らしさの痕跡を残している.現在,我々が直面する超高齢社会における老人介護の問題は,未だ解決の糸口を見いだせていない.人類の歴史の時間と比べ,1億年余りの白山手取川ユネスコ世界ジオパークの歴史の時間と比べれば,取るに足らない時間なのかも知れない.人類は,これからも進化し続ける時間が必要なのであろうか.そんな妄想が桑島化石壁を手取湖で挟んだ対岸の白山恐竜パーク白峰[15]から見下ろす場所で湧いてきた.

(注1)直立2足歩行とは, 脚と脊椎を垂直に立てて行う二足歩行のことである.現存する生物のうち,直立二足歩行が可能な生物は,ヒトだけである.外見上,直立二足歩行を行っているように見えるペンギンは,実際には大腿骨は脊椎に対してほぼ直角であり,下腿骨のみが垂直(常に膝を曲げた状態)となっているため,直立二足歩行ではない.その他,常時二足歩行を行う動物に鳥類やカンガルー,一時的な二足歩行を行う動物にイヌやクマ,サル(特に類人猿)などがあるが,いずれも骨盤と大腿骨の構造上,大腿骨を脊椎に対して垂直に立てることはできず,直立二足歩行とは言えない[6].なお, 初期猿人としては, アルディピテクス・ラミドゥスより以前にその存在が確認されているものとして, サヘラントロプス・チャデンシス(Sahelanthropus tchadensis;700〜600万年前), オロリン・トゥゲネンシス (Orrorin tugenensis;610〜580万年前), アルディピテクス・カダッバ(Ardipithecus kadabba ;580〜520万年前)などの化石が確認されているが,その化石は歯や手足の骨だけで詳細は不明となっている[7].
(注2)猿人から原人への進化の中でホモ・エレクトゥス(直立する人)は,狩りの道具を作り,組織的な狩りを行なうなど知的な行動を行い,それまでアフリカを主な活動の場としていたが,1部がユーラシア大陸へ移動を行っている(出アフリカ).また,ドマニシ遺跡での歯のない頭骨化石は,180万年前に既に集団による老人介助という「思いやり」の社会的行動が既に見られたことの証左とされている.また,アフリカに残ったホモ・エレクトゥスは,やがてホモ・ハイデルベルゲンシス(70〜20万年前)へと進化する.そして,さらに,ホモ・サピエンス(新人;「賢い人」)とネアンデルタール人(旧人)へと進化していく[8]. ネアンデルタール人は4万年前に絶滅した.しかし,その原因はまだ明確にされていないが, ホモ・サピエンスとの共存や交配もあったことがDNAの分析から指摘されている[9].なお, 「猿人・原人・旧人・新人」という名称は外国ではほとんど使われない.とくに「旧人」という名称はまったく使われていない.ホモ・サピエンス(新人)が,ネアンデルタール人(旧人)よりも古い時代から棲息していたことがわかってきたからである,という指摘もある[10].
(注3)人類が使用した文字の最も古い古代文字は, 紀元前3400年頃メソポタミア文明で使用されていた楔形文字(クサビガタモジ)や紀元前3200年前後から使われていた古代エジプトの象形文字がある[11].
(注4)科学技術の歴史を見ると,14〜16世紀にイタリアの諸都市を中心として起きた大きな文化の変革運動であるルネサンスを近代科学形成の起源とする見方が一般的である.しかし一方で,395年に東西に分裂したローマ帝国の東ローマ帝国(ビザンティン帝国/395-1453年)からの宗教的弾圧から難を逃れた人々が,ササン朝ペルシア(226-651年)に移り,ギリシア・ローマ文化や古典文献をイスラム圏に伝え,翻訳・発展させたという西アジア中心の12世紀ルネサンスの存在も議論されている[13].

参考文献・資料
[1] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), モロッコ地震, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%9C%B0%E9%9C%87 , 2023.9.23アクセス
[2] 朝日新聞Digital, モロッコで地震遭遇の白山市長,会議場前のテントでジオパーク認定証,  https://www.asahi.com/articles/ASR9B3V4RR9BPISC001.html , 2023.9.23アクセス
[3] 石井和克,人類にとっての遺産の意味を考える, コラムKAZU'S VIEW2020年10月, https://wwwr.kanazawa-it.ac.jp/ishii/column.cgi?id=207  , 2023.9.23アクセス
[4] 日本ジオパークネットワーク, 石川県白山手取川ユネスコ世界ジオパーク, https://geopark.jp/geopark/hakusan/ , 2023.9.23アクセス
[5] 白山手取川ジオパーク推進協議会,白山手取川ユネスコ世界ジオパーク, https://hakusan-geo.jp/ , 2023.9.23アクセス
[6]フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 直立二足歩行,  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E7%AB%8B%E4%BA%8C%E8%B6%B3%E6%AD%A9%E8%A1%8C , 2023.9.23アクセス
[7] NHKスペシャル「人類誕生」制作班編集,馬場悠男監修, NHKスペシャル人類誕生,学研プラス(2018)
[8] 比較ジェンダー史研究会事務局, 1.先史時代の世界(人類の起源・移動地図・年表), https://ch-gender.jp/wp/?page_id=5378# , 2023.9.25アクセス
[9] 石井和克, 夢を追い続けること−岩倉舞とスバンテ・ペーボへの共感性−,コラムKAZU'S VIEW2022年11月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=232 , 2023.9.23アクセス
[10] 溝口優司,アフリカで誕生した人類が日本人になるまで, SBクリエイティブ(2011)
[11]フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)),楔形文字, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97 ,2023.9.25アクセス
[12] 石井和克,最近の天文学の発展と七夕まつりの距離感について思う,コラムKAZU'S VIEW2023年7月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=240 ,2023.9.26アクセス
[13] 古川 安,科学の社会史-ルネサンスから20世紀まで-,筑摩書房(2018)
[14] 京都大学大学院理学研究科生物科学専攻動物学系, ヒトとチンパンジーの系統的学位置, https://jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp/ChimpHome/keito.html , 2023.9.26アクセス
[15] 一般財団法人白山市地域振興公社,白山恐竜パーク白峰, https://city-hakusan.com/learn/hakusan_dinosaur_park/ , 2023.9.26アクセス

令和5年9月
以上

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