コラム KAZU'S VIEW
2023年11月
覇道と王道を改めて認識させられた「危機の二十年」
パレスチナ・ガザ地区(注1)を実効支配するイスラム組織ハマス(注2)が10月7日,イスラエルに3000発を超えるロケット弾を撃ち込むと同時に音楽祭に参加していた人々を拉致し,捕虜として連れ去ったことを契機に,その後,イスラエルの報復攻撃が始まり,多くの民間人の血が流れた.私の国際会議の仲間のイスラエル人もハマスのテロから家族を守るために尊い命を落としたというメール連絡を受け,平和的な紛争終結を願ってメッセージを送った.このこともあり,この紛争が人ごととは思えない心境を抱いていた.その後,イルラエルの報復攻撃のニュースを見聞きするたびに,遠く離れて暮らす友人やその家族の安否が気がかりであった.2018年を最後に,海外に出る機会を持っていないためZoom等の間接的コミュニケーションでしか海外の状況を直接知る事ができない.自身の性格から悲観的世界観が気持ちを重くしている.ウクライナ・ロシア戦争[3,4]を含め,世界の各地で人類同士の殺戮が繰り返されている.コロナ禍を過ぎたら,武力闘争の世界に逆戻りしているような錯覚に陥る.2つの世界大戦を経験してもなお,戦争の火種が地球のあちこちに散在している.改めて,2つの大戦の間の20年間の国際政治について1939年に出版されたE.H.カーの「危機の二十年」[5](注3)の警鐘を振り返ってみる.
エドワード・ハレット・カー(Edward Hallett Carr)の「危機の二十年」は,当時,法律的・道義的アプローチが支配的であった国際関係論において権力政治(パワーポリティックス)の重要性を強調した現実主義(リアリズム)の本として知られる[6] .しかし,同書には彼の言葉を借りれば,「道議と権力」という政治の宿命的二元性の議論の中に反リアリズム(ユートピア)的主張もあり,そこに本書の価値があると指摘する意見もある著書である[5,6].その第一部で述べられた「歴史とは,歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり,現在と過去のあいだのつきることのない対話なのです」というフレーズは,世界的に引用され再論されている[6].カーの論旨は,「平等」に着目し,その原点をフランス革命(1785-95年)の個人間の平等に置き,その後,階級間(資本家と労働者),そして国家間の平等へと権力単位の拡大に至ったという歴史観に基づいている.そして第一次世界大戦(1914-18年)以前の世界を「英国の平和(Pax Britannica)」と位置づけ(注4),この体制から如何に新たな体制を構築するべきかについて,19世紀までの理想(ユートピアリズム)「利益と思いやりを共有する世界社会」を幻想と指摘している.これは,第一次世界大戦終了後のベルサイユ体制でアメリカ第28代大統領Thomas Woodrow Wilsonの提唱によって世界平和の確保と国際協力の促進を目的に設立された国際連盟(League of Nations;注5)に,提唱国であるアメリカが参加せず,戦勝国である英仏による独いじめが引き金となり,カー自身が危惧していた全体主義(注6)の勃興とこれが第一次大戦後20年を経て,第二次世界大戦(1939-45年)を引き起こすことの実証(第2版として1945年に再版)に立ち会うことになる.カーの問いの中で興味深いものは,以下の2つであった.
1. 「国家は政治権力の核心部分として果たす最良の単位なのか,それとも最悪の単位なのか?国家以外の単位は,他かにあるか?そして,
(1)世界における最も大規模かつ最も包括的な政治権力単位は,必ず領土的性格を帯びるものなのか?
(2)もしそうなら,政治権力単位はおおむね今日の国民国家の形態をとりつづけるのか?
2.「政策の価値判断から経済的利益を放棄する.」という視点,すなわち,
(1)雇用は利潤よりも重要である.
(2)社会的安定は消費の増大よりも重要である.
(3)公平な配分は生産の極大化よりも重要である.
の指摘に含まれる諸利害が,あきらかに調和していない現状において,「利益の犠牲によって達成される調和」という提言.
「道議と権力」と言う言葉は,前回のコラム「奥能登国際芸術祭2023を訪ねて文化と風土について考えたこと」[11]の「風の人」,「土の人」の関係を連想させる.すなわち, 理想を求める風性(ユートピアリズム)の人,現実に根をはる土性(リアリズム)の人である.別の言葉では,「義理と人情」[12]に通じる価値観を感じる.「義理と人情の板挟み」と「義理人情を解する」という言葉の論理的矛盾性と日本人的共感性の両方を解する文化の奥深さを感じた. 三牧[10]が指摘する,「カーの主張は決して利益調和の可能性自体を否定するものではなく,諸国家の利益は自然には調和しないという前提に立って,絶えざる政治的交渉によって『利益調和』を能動的に創出していくことに求めていた.」と解釈するのが日本的心情として共感を持てる.
日本国憲法前文の次の一節に以下がある.「われらは,いずれの国家も,自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって,政治道徳の法則は,普遍的なものであり,この法則に従うことは,自国の主権を維持し,他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる[13].」これは, 道義(政治道徳)と権力(国家主権)の調和を目指すものなのか.目指すものとしては「信ずる」しか無いと言うことか.国家を超える政治権力として現在の国際連合は,国際連盟が第二次大戦の回避に失敗した根本要因を強制力の不在・不徹底に求め,安全保障のための武力をもって現体制に反抗する武力を制するという論理禍によって機能不全を来たしているのではないか.武をもって治むるは「覇道」,徳をもって治むるは「王道」.覇道は王道に及ばず.これの言葉を改めてE.H.カーの遺言とするために我々がなすべき事を確認できたような気がする.
(注1)パレスチナは,東をヨルダンに接する「ヨルダン川西岸地区」と,西を地中海,南をエジプトに接する「ガザ地区」に分かれている. ヨルダン川西岸とガザは1994年以来「パレスチナ自治区」とされ,「パレスチナ自治政府」が存在しているが,独立国家ではない.ガザは周囲をイスラエル軍に完全に包囲され,人や物の出入りが厳しく制限されている.人口の約7割は難民で,8つの難民キャンプがある.国連や支援団体からの援助物資などで住民の生活が維持されているが,2008年以降は,ほぼ2年おきにイスラエル軍の激しい爆撃を受け,多くの市民が犠牲になっている. 1993年にイスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)の間で結ばれた「オスロ合意」に基づいて翌年ガザ地区は,ヨルダン川西岸地区と共に「パレスチナ自治区」になった[1].
(注2)ハマース(Hamas)あるいはハマース抵抗運動(Hamas Movement)は,1987年に結成されたパレスチナのスンニ派イスラム原理主義,民族主義組織.パレスチナ土地奪還と,パレスチナ人権保護を目的に活動しておりその方針は『ハマース憲章』にて規定されている.名称については,公安調査庁や多くの日本メディアはハマスと表記.1987年にパレスチナ地区のムスリム同胞団の最高指導者アフマド・ヤースィーンにより結成された. 1980年代の第1次インティファーダ時代に,ヤーセル・アラファト議長が指揮するパレスチナ解放機構 (PLO) の影響力を排除した民衆レベルでの対イスラエル抵抗組織として設立された.ハマースとPLOの対立関係を見たイスラエル政府は,ハマースがPLOに対抗する勢力となることを期待して秘密裏に援助を行っていた.ハマースは教育,医療,福祉などの分野で一般民衆への地道な活動を続けたため,パレスチナ人の間で支持が拡大していった.ガザの戦い(2007年)の後,ガザ地区の事実上の統治当局となった[2].
(注3)E.H.カーは, イギリスの歴史家,国際政治学者,外交官,文筆家である. 1916-36年までイギリス外務省に勤務し,その後,ウェールズ大学アベリストウィス校(現英国立アベリストウィス大学)の国際政治学の正教授を務めた[6]. 「危機の二十年: Twenty Years' Crisis 1919-1939)」は,ヨーロッパで第二次大戦直前の1930年代に執筆され,第1版が第二次大戦勃発の直後の1939年9月に刊行された.その後,1945年に第2版を刊行されたが,第2版の序文ではその主張である国際政治における権力の要素性の主張は,第1版と変わらないとしている.日本語訳[5]は第2版より行われている.
(注4)E.H.カーは, 「英国の平和」として以下を指摘している.
「権力はあらゆる政治秩序の必然の要素である.世界社会に向かう過去の足跡は全て,ただ一強国の権勢から生み出されたもの.19世紀のイギリス艦隊は大戦争の回避の保証と航海の治安維持を通じてあらゆる国に等しく安全を提供した.ロンドン金融市場は,全世界に単一通貨本位制を確立し,イギリス通商は自由貿易の原則を広く受け入れる仕組みを作った.英語は4つの大陸のリンガ・フランカ(注5)になった[5].
(注5)リンガ・フランカ(またはリングワ・フランカ)は, 共通の母語を持たない集団内において意思疎通に使われている言語のことを指す. 外交や商取引で使われる通商語,あるいは共通語という意味で用いられる. 第二次世界大戦後から現在に至るまで,国家間での貿易,科学や外交などといった分野でリングワ・フランカとして最も多く用いられているのは英語である.外交用言語としての英語の使用は,イギリス帝国の勃興に合わせて拡散していった.1919年には第一次世界大戦の講和条約であるベルサイユ条約で,フランス語と英語が併記されている.また20世紀に入って,同じく英語を事実上の公用語とするアメリカ合衆国の政治的・経済的・文化的隆盛によって,英語はその国際語としての地位を確固たるものとした[7].
(注6)国際連盟規約に記載されている連盟の主な目的は,集団安全保障と軍縮によって戦争を防止し,交渉と仲裁によって国際紛争を解決することであった.また,労働条件,先住民の公正な扱い,人身売買,違法薬物の取引,武器取引,健康,戦争捕虜,ヨーロッパの少数民族の保護などが,この規約や関連条約に盛り込まれていた. 国際連盟規約は,1919年にベルサイユ条約の第1編として調印され,1920年に他の条約とともに発効した. アメリカ合衆国大統領T.W. Wilsonは,連盟設立の立役者として1919年,ノーベル平和賞を受賞した. 第二次世界大戦終了後,国際連合(国連)が1945年に設立され,連盟が設立した機関や組織の一部は国連が引き継いだ.連盟は1946年をもって正式に解散した.連盟の存続期間26年間で最大加盟国数は58か国(1934-35年)であった[8].
(注7)個人の権利や利益,社会集団の自律性や自由な活動を認めず,すべてのものを国家の統制下に置こうとする主義.独裁や専制政治などと同義に用いられる[9].
参考文献・資料
[1] 特定非営利活動法人パレスチナ子どもキャンペーン,パレスチナ問題とは, https://ccp-ngo.jp/palestine/ ,2023.11.23.アクセス
[2]フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), ハマース, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9 ,2023.11.23.アクセス
[3] NHK,ウクライナ情勢, https://www3.nhk.or.jp/news/special/ukraine/ ,2023.11.23.アクセス
[4] 秋田浩之,ゼレンスキー大統領「停戦,ロシアの全土撤退が前提」,日本経済新聞社(日経電子版),
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB297550Z21C23A1000000/?n_cid=BMTR2P001_202311301700 ,2023.11.23.アクセス
[5] E.H.カー著,原彬久訳, 危機の二十年-理想と現実-,岩波書店(2011)
[6] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), E・H・カー, ,
https://www.weblio.jp/content/%E6%96%87%E5%8C%96 , 2023.11.23.アクセス
[7] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), リングワ・フランカ, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB ,2023.11.23.アクセス
[8] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 国際連盟, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%80%A3%E7%9B%9F , 2023.11.23.アクセス
[9] DIGITALIO, 全体主義,コトバンク, https://kotobank.jp/word/%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9-88533 , 2023.11.23.アクセス
[10] 三牧聖子,「危機の二十年」(1939)の国際政治観-パシフィズムとの共鳴-,pp.306-323(2008)https://www.jstage.jst.go.jp/article/nenpouseijigaku/59/1/59_1_306/_pdf
[11] 石井和克,奥能登国際芸術祭2023を訪ねて文化と風土について考えたこと,コラム KAZU'S VIEW 2023年10月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=243 ,2023.11.23.アクセス
[12] 源了圓,義理と人情: 日本的心情の一考察,中央公論新社(2013)
[13] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 日本国憲法前文, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E5%89%8D%E6%96%87 ,2023.11.23.アクセス
令和5年11月
以上

