コラム KAZU'S VIEW

2024年01月

甲辰年の三が日は衝撃的なニュースの連続だった


  甲辰(キノエ タツ)年の元旦は,ここ3年間の恒例となった,地元の神社で行われる「元旦祭」に8時30分から出席し,町会を代表して神前に玉串奉奠を行う事になっていた.元日前夜からの雨も止み,気温もそれほど下がらない中,無事に神事を終えて帰宅し,年賀状を読み終え,お屠蘇気分の中で再放送中の韓国時代劇「朱蒙(チュモン)」[1]の録画を見ていた時だった.突然,携帯の地震アラームがけたたましくなり,暫くすると北陸に来て初めて経験する大きな地震の揺れで食器棚やテレビモニターを家族3人で押さえる状況が30秒程度続いた.その後,テレビと携帯で津波警報と避難の呼びかけの音声やテロップが流された.お屠蘇気分も一瞬に覚め,余震への備えを巡らせていたが,その後の余震の揺れは,幸い想像した程の大きなものはなく,しばし小康状態になった.明るい内に町会内の状況を見回るべく,2Km弱程度の町会内道路を回り,数人の方と被害情報の交換を行ったが,これといった被害もなく,安心して帰宅した.しかし,新年初日の夜は,携帯の地震アラームが頻繁に鳴り,ほとんど眠る事ができなかった.翌日から,携帯の地震アラームを震度4以上に設定し直し,少しはストレス解消になった.テレビでは1日中,地域の被害情報が流され,同一県内でありながら,金沢市内と能登地域とにこれほどの被害格差があることに驚きを覚えた.2日目も町会内の情報収集に回ったが,本棚の本が落ちるとか,食器数個が落下,破損する程度の被害であること以外に,親類縁者が能登地域におられる方々からの被害情報が入り出した.その日の夜のテレビニュースを見ていると,能登半島地震のニュースの画面が突然羽田空港に変わり,日本航空機と海上保安庁機との衝突映像が映し出されていた.日本航空機の炎上シーンは前日の輪島の大規模火災の画面と重なり,なんとも言えない心の重みを感じた.3日目を迎え,余震にも徐々に慣れて来たが,震災被害の状況が一向に分らず,歯がゆさを覚えつつ,連日の震災ニュースを見ていると,福岡県の繁華街での火災のニュースが目に入ってきた.やりきれない時間が過ぎ,三が日が明けた.何という年明けなのか?長いようで短い3日間が過ぎた.2011年の平成23年東北地方太平洋沖地震の記憶が甦り,改めて,地震災害について考えてみた.

  4日から町会としての震災支援策についての検討が始まった.まずは,震災に関する情報収集を行うことが町会内のデジタルネットワークを通じて提案された.これに基づき,ネットワーク内に震災に関する掲示板の設置準備を行い,5日から稼働できる状態になった.被災地への道路網の寸断状況と活用出来る道路情報が,徐々に集まって来た.やがて,支援のために被害地に出かけることについて,限られた道路網の混雑で緊急車両の通行が支障を来しているとの情報が加わり,被災地に出かけての支援の適否についての議論が交わされるようになった(注1).身近な人たちの災難に対し,これを支援しようする心情と,これを具体的な行動として実施することについて,「何時」,「どのような支援行動を取ったら良いか」を改めて考えさせられる機会となった.物的支援,金銭的支援,人的支援,心的支援などなど支援方法の多様性と実施のタイミングのマネジメントの必要性を感じた.政府は災害発生時点で「必要物資をプッシュ型(注3)で,空路あるいは海路を使って送った.」とうい発表を行っていた.金沢市から,支援物資の受付を開始するとの連絡が入ったので,市が定めた集積場所の交通混雑と町会の皆さんの物資搬送の手間を省くため,町会として救援物資のとりまとめと搬送を行うことをデジタルネットワーク上でまず流し,救援物資を準備している方々を対象に1回目の物資搬送を金沢市の受付初日に実施した.実施までの時間が短かったこと,および連絡を見逃している方々もおられたようで,物資は余り集まらなかった.改めて,町会全体への情報共有のために回覧板を通じた通達を行い,金沢市の受付最終日の1週間後に再度,町会としてのとりまとめを行うこととした.この機会を通じて,自分たちが日頃,災害時に向けた物資備蓄への配慮のなさを思い知らされた.また,プッシュ型と呼ばれる救援物資支援の品目も実践的に確認できた.物資支援活動を通じて,義援金等の資金的支援策についても個人ベースと町会ベースでの検討を行った.町会として義援金捻出方法もデジタルとアナログの両面のネットワークを通じて検討するとともに,これを町会間ネットワークである町会連合会組織と協議を行った.被災地の復旧および復興には長い年月がかかるであろう.支援活動もこれに対応して行う必要性を感じる.「明日は我が身」という認識で今回の経験を今後に生かすことも配慮して検討を進めることを意識しなければならない.

今回の一連の地震の震源域は,能登半島の東側の海岸線に沿ってF42(南西方面への力)とF43(門前沖・猿山沖・輪島沖・珠洲沖の4つのセグメントで北東方面への力,佐渡方向)[5],[6]という2つの活断層(注4)にある可能性が高いと政府の地震調査会などの情報を基に指摘されている(注5).この調査会の報告では,F43で地震が起きた場合は,その大きさはM7.6程度になると予測されていた.この数値は,令和6年能登半島地震と一致している.しかし,この情報は「全国地震予測地図(強い地震の起きる確率を色分けした地図)」[14]には,反映されていなかった.その理由は,能登半島沖の評価は,始められたばかりであったというタイミング的な問題とされている[2]. 気象庁によると,震度7(気象庁震度階級 (震度)では,10段階中,最も大きい階級)の激しい揺れを国内で観測したのは,1995年阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震),2004年新潟県中越地震,2011年東日本大震災(東北地方太平洋沖地震),2016年熊本地震(2回),2018年北海道胆振東部地震に続いて7回目となる[15].また,石川県能登地方および能登半島沖を震源とする地震のうち,震度5弱以上を観測した地震は,1919年以降2023年12月まで,12回発生している.そのうち6回は2020年以降のものである[16].しかし,石川県内で以前からM7級の地震が起きる可能性の高い活断層(全国地震予測地図で赤色の付くもの)として,森本・富樫断層がある. 金沢平野の南東縁に発達する活断層帯で,石川県河北郡津幡(ツバタ)町から金沢市を経て白山市明島(アカラジマ)町付近(旧石川郡鶴来(ツルギ)町)に至る,長さ約26kmの断層帯で,断層帯の東側が西側に乗り上げる逆断層[17]である. 予想される地震の規模はM7.2程度,地震発生確率は30年以内に2〜8%,地震後経過率(注7)は0.7〜1.2,平均活動間隔は1700〜2200年程度とされる.この活断層は我が家の下にある.「薄氷を踏む思い」とは,このことを言うのであろう.「明日は我が身」は,その現実味を帯びる.

日本という国土に生活する以上,地震災害は避けがたい宿命である.数百年に1回,数千年に1回という巨大地震に遭遇する事は「止むを得ない」と認識すべき事象なのであろう.「自然のいい加減さ」[20],[21]にどう向き合うのかが,基本戦略になると考えるべきであろう.生死の分かれ道は,時の運と考え,その日,その日を精一杯生きることでしか,その答えは無いような気がする.その気持ちを基本に据え,自らの生き延び方,愛する人々の延命のための地震災害準備を積み上げて行くことが,多大な犠牲を糧としてこれから生きていく我々の使命になるのではないか.2011年3月の東北日本大震災の際のコラム[22]で自ら綴った自戒の内容から,今回の地震災害に対する問題意識の変化となすべき事の整理を町会の皆さんと一緒に考え,行動することを通じて学んで行きたい.令和6年能登半島地震の犠牲者に心からの哀悼の意を表すると共に,未だ安否確認ができていない方々の確認と被災地の復旧の1日も早い事を祈念するばかりである.

(注1)令和6年能登半島地震(注2)の災害支援に関して,石川県災害危機管理アドバイザーを務める室崎益輝神戸大名誉教授は,1月15日付け朝日新聞で,支援活動の初動体制の遅れを「自衛隊,警察,消防の邪魔になるからと経験豊富なボランテイアや研究者でも駆けつけることをためらう空気が作られた.その結果,マンパワー不足と専門的ノウハウの欠如で後手後手の対応が続いている.防災計画はきれいに描いてきた.でも,マネジメントがうまくできていない.司令部と被災地の距離が遠い.組織が縦割りになってしまっているのも気になる.」と指摘している[2].
(注2)石川県能登地方では,令和2年(2020 年)12 月から地震活動が継続しており,令和6年1月1日 16 時 10 分頃の石川県能登地方の地震により,最大震度7を観測するなど能登半島を中心に強い揺れを観測しました.気象庁は,今回の地震及び令和2年12月以降の一連の地震活動について,陸域でマグニチュード7.0以上かつ最大震度5強以上の基準を満たしたことから,名称を「令和6年能登半島地震」と定めました[3].
(注3)プッシュ型支援とは, 発災当初は,被災地方自治体において正確な情報把握に時間を要すること,民間供給能力が低下すること等から,被災地方自治体のみでは,必要な物資量を迅速に調達することは困難と想定される.このため,国が被災都道府県からの具体的な要請を待たないで,避難所避難者への支援を中心に必要不可欠と見込まれる物資を調達し,被災地に物資を緊急輸送しており,これをプッシュ型支援と呼んでいる[4].東日本大震災の教訓から生まれ,基本的品目として以下の8品目(令和6年能登半島地震時の金沢市の事例)が例として上げられる[2].
/料・飲料水,
∧粥Ρ嫗離潺襯,
紙おむつ,おしりふき(子ども用,大人用問わず)
ぅ肇ぅ譽奪肇據璽僉
ダ戸用品
Ψ搬咫Υ憤廛肇ぅ
Х搬嗟僖イロ
毛布(新品のみ)
(注4)私たちが住んでいる街の地面を掘り下げていくと最後は固い岩の層にぶつかるが,この岩の中にはたくさんの割れ目がある.通常,この割れ目はお互いしっかりかみ合っているが,ここに「大きな力」が加えられると,割れ目が再び壊れてずれる.この壊れてずれる現象を「断層」活動という.そして「断層」のうち,特に数十万年前以降に繰り返し活動し,将来も活動すると考えられる断層のことを「活断層」と呼ぶ(第四紀(260万年前以後)中に活動した証拠のある断層すべてを「活断層」と呼ぶこともある).現在,日本では2千以上の「活断層」が見つかっているが,地下に隠れていて地表に現れていない「活断層」もたくさんある[7] .
活断層は普段,断層面が固着しているが,断層面を挟む両側の岩盤には常に大きな力(ひずみ)がかかっている.このひずみが限界に達すると岩盤が破壊され,断層に沿って両側が互いに反対方向にずれ動く.この動きで地震が発生し,ひずみは解消される.その後は再び,ひずみが限界になるまで,動きは止まる.私たちが住んでいる日本では,直下型の大地震にしばしば見舞われているため,活断層が頻繁に動いている印象がある.しかし,これは日本の活断層の数が多いため(110個の断層がこれまでに調査されてきている[8])であって,実は1つの活断層による大地震発生間隔は,1000年から数万年と非常に長いのが特徴である.一方,海溝型地震の発生間隔は直下型よりずっと短く,南海トラフを震源とする地震の発生間隔を例に挙げると100年程度で,歴史時代に巨大地震(南海地震,東南海地震)が何回も発生している[9].
(注5)令和6年能登半島地震の発震機構は,北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層(注6)型であった.また,発震機構と地震活動の分布及びGNSS(Global Navigation Satellite System; 衛星測位システム)観測の解析から,震源断層は北東-南西に延びる150 km程度の,主として南東傾斜の逆断層であると考えられている.地震調査委員会委員長で東京大学名誉教授の平田直は地震翌日の会見で,この断層は既知のものではないと説明している[10],[11].
(注6)断層面が傾いている場合,両側の岩盤のうち,浅い側を「上盤(ウワバン)」,深い側を「下盤(シタバン)」(断層面の上に乗っている方を上盤,断層面の下の方を下盤という).断層面を境として両側のブロックが上下方向に動くときを「縦ずれ断層」と呼ぶ.「縦ずれ断層」のうち,上盤側がずり下がる場合を「正断層」,のし上がる場合を「逆断層」と言う.一方,両側のブロックが水平方向に動くときは「横ずれ断層」と呼び,断層線に向かって相手側のブロックが右に動く場合を「右横ずれ断層」,左に動く場合を「左横ずれ断層」と言いう.我が国の内陸地震では,中部地方から西日本にかけては横ずれ断層型が多く,東北地方などの北日本では逆断層型が多いと言われている.実際の断層を見ると,純粋に「縦ずれ断層」,「横ずれ断層」と呼べるものはまれで,多くのものは斜めにずれている[12],[13].
(注7)地震後経過率とは, 最新活動(地震発生)時期から評価時点までの経過時間を,平均活動間隔で割った値である.最新の地震発生時期から評価時点までの経過時間が,平均活動間隔に達すると1.0となる[18],[19].

参考文献・資料
[1]BS11,韓流プラス朱蒙(チュモン), https://www.bs11.jp/drama/jumong/ , 2024.1.7アクセス
[2] 能登地震 政治は何をしていたのか【半田滋の眼 NO.94】20240124
https://www.youtube.com/watch?v=WxmK9OSKdd8 , 2024.1.28アクセス
[3] 気象庁地震火山部, 令和6年1月1日 16 時 10 分頃の石川県能登地方の地震について(第2報),報道発表,   https://www.jma.go.jp/jma/press/2401/01b/kaisetsu202401011810_2.pdf ,2024.1.17アクセス
[4] 内閣府, 物資支援(プッシュ型支援)の状況,情報のページ, https://www.bousai.go.jp/jishin/kumamoto/kumamoto_shien.html# , 2024.1.17アクセス
[5] 産業技術創業研究所地質調査総合センター, 令和6年(2024年)能登半島地震の関連情報-能登半島北部域20万分の1海陸シームレス地質図, https://www.gsj.jp/data/coastal-geology/GSJ_DGM_S1_2010_03_a.pdf ,2024.1.17アクセス
[6]吉⾒雅⾏, 令和6年能登半島地震(Mw7.5)地震概要と震源断層,令和6年能登半島地震(M7.6)に関する速報会, https://committees.jsce.or.jp/eec205/system/files/20240109-yoshimi_v0107_0.pdf , 2024.1.17アクセス
[7] 国土交通省国土地理院,活断層とは何か? https://www.gsi.go.jp/bousaichiri/explanation.html ,2024.1.7アクセス
[8] 堀 貞喜, 太古から続く地球の営みから分かる 地震が起こるメカニズム,内閣府防災情報のページ, https://www.bousai.go.jp/kohou/kouhoubousai/h21/05/special_02.html# ,2024.1.7アクセス
[9] 株式会社パスカル, 活断層による地震のメカニズムと内陸型大地震の特徴・対策につい,オクレンジャー, https://www.ocrenger.jp/archives/2023/# ,2024.1.7アクセス
[10]フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 能登半島地震 (2024年), https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E7%99%BB%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2024%E5%B9%B4)#cite_note-MLIT-34 ,2024.1.30アクセス
[11] 国土交通省,内閣府・文部科学省, 日本海における大規模地震に関する調査検討会報告(概要),  https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/daikibojishinchousa/houkoku/gaiyo.pdf ,  2024.1.17アクセス
[12] 地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課),正断層・逆断層・横ずれ断層, https://www.jishin.go.jp/resource/terms/tm_fault/ , 2024.1.17アクセス
[13] 渡島半島の自然を訪ねて,正断層と逆断層, http://nature.blue.coocan.jp/kaisetu-dansou01.htm , 2024.1.17アクセス
[14] 地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課),確率論的地震動予測地図 中部地方,地方別地震動予測地図及び都道府県別地震動予測地図, https://www.jishin.go.jp/main/chousa/20_yosokuchizu/yosokuchizu2020_chizu_24.pdf , 2024.1.17アクセス
[15] フリー百科事典(ウィキペディア(Wikipedia)), 震度7,   https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E5%BA%A67 ,2024.1.30アクセス
[16] 加納靖之, 能登半島で発生した過去の被害地震, https://note.com/ykano/n/nc17a3abd14fa ,2024.1.30アクセス
[17] 地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課),中部地方の地震活動の特徴, https://www.static.jishin.go.jp/resource/regional_seismicity/chubu/p16_toyama.jpg , ,2024.1.17アクセス
[18] 地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課), 地震後経過率とは, https://www.static.jishin.go.jp/resource/regional_seismicity/glossary/keikaritsu.htm , 2024.1.17アクセス
[19] 地震調査研究推進本部事務局(文部科学省研究開発局地震・防災研究課), 地震後経過率, https://www.jishin.go.jp/resource/terms/tm_seismic_time_lapse_rate/# , 2024.1.17アクセス
[20] 石井和克, COVID-19感染流行は人類に対する自然のいい加減さからの問いかけか,コラム KAZU'S VIEW 2020年03月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=200 , 2024.1.28アクセス
[21] 石井和克, コロナとの共存文化は日本の明治以前の文化にそのヒントがあるか, コラム KAZU'S VIEW 2020年06月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=203 . 2024.1.28アクセス
[22] 石井和克, 2011年03月東北日本大震災から日本人は何を学ぶか-Part1-, コラム KAZU'S VIEW 2011年03月, https://ishii-kazu.com/column.cgi?id=91 . 2024.1.28アクセス

令和6年1月
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