コラム KAZU'S VIEW

2009年04月

小松帯刀に見るマネジメントの妙

今年のNHK大河ドラマは妻夫木聡主演の「天地人」であるが、昨年は原作宮尾登美子、脚本田渕久美子、主演宮あおいによる「天璋院篤姫(テンショウイン アツヒメ)」であった。篤姫については2007年9月のコラムで触れたが、このドラマを見終わって小松帯刀(コマツ タテワキ)の存在を改めて認識する機会となった。聞くところによると、原作にはなかった帯刀を準主役としたのは本田脚本のようである。帯刀の正式名称は小松帯刀清兼(コマツタテワキキヨカド)で幼名は肝付尚五郎といったらしい。尚五郎は22才の時、小松家の婿養子となり7才年上の千賀(お近)と結婚するが、この夫婦は日本最初の新婚旅行を行ったといわれる坂本龍馬とお龍夫婦より10年前に既に新婚旅行をしたという説もある。また、坂本夫妻の取り持ち役を帯刀が演じたと言われる。帯刀は勝海舟を介して坂本龍馬および海援隊との交流を持ち、そのネットワークを使って1866年の薩長同盟、67年の薩土盟約を実現させていく。また、大政奉還や版籍奉還など新しい日本の国づくりの基本的なことに深く関わった。大河ドラマでは篤姫と交友があり共に日本のために果たすべき役割を共有しつつ、世の流れが徳川対薩摩の戦いになることで2人が別々の道を歩みながら理想とする「ありたい姿」を求め続ける様子を描こうとしていた。しかし、実際にこの2人が接触したことを証明する証拠は見つかっていないという。フィクションである可能性が高いが、非常に面白い設定であると思う。今回のドラマでは瑛太が帯刀役を好演しているが、性格的にはかなり凝り性な人物だったようだ。大和交易方という貿易会社を興し、これを拡張し、大和方コンパニーという株式会社を設立した。1869年5月に病気により退官し、オランダ医師のボードウィンによる治療に専念した。このボードウィンは上野に公園を作ることを政府に進言したと言う。日本最初の公園である上野(恩賜)公園には彼の銅像がある。また、胃腸薬を日本人に伝え、それを改良して太田胃散という薬ブランドを創った人物でもある。しかし、そのような名医による治療の甲斐もなく1870年8月16日、36才の若さで病により「幻の宰相」と惜しまれ、この世を去った。しかし、彼の孫は銀行頭取や製罐会社の経営者など経済的な活動を伝承している。小松清廉が慶応3年(1867年)に鉄道敷設建白書を呈上した功績により大正11年(1922年)、時の第2代鉄道大臣大木 遠吉(オオキ エンキチ)が小松重春(清兼の孫)に品川駅立売営業権を許可している。これが現在の(株) 常盤軒(JR品川駅で食品などの販売を行っている企業)の始めである。
幕末の争乱の中、敵対関係にある薩摩・長州を連携化し、更に勝海舟を介して徳川とも連携を持ち、坂本龍馬が脱藩した土佐藩を巻き込むネットワーク化により新たな日本を西欧列強の脅威の中で形成し、その後のアジアの奇跡を企てた人物は、飛鳥、鎌倉時代に次ぐ3回目の日本大改革を篤姫、和宮、西郷、勝らを「新しい日本創り」という同一目標の下でネットワークマネジメントし、今日で言うオープンイノベーションを実現した。その陰の立て役者という意味で、小松帯刀とうい人物がマネジメントの世界で注目を浴びても良いのではないか。正に、今の日本に最も求められている宰相(総理大臣)たり得る人物ではないか。

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